NPO法人「八潮市域の歴史文化とまちづくり」(秋山憲禮代表)のメンバーらが10月10日、市内南川崎の「JAさいかつ潮止支店」敷地内にある「田中四一郎像」をきれいにする“お身拭い”を行った。
田中四一郎は1903年(明治36年)、旧潮止村村長に就任し、「自治」「物資」「良心」の造成の「自治の三造」を村政の基本方針とした。特に「信用組合」を重要視し、村ぐるみで取り組む体制を整備。そうした政策が成果を上げ、11年(同44年)には内務省(当時)から模範村とされた。その後も潮止自治学校の開校や、潮止用水機場の設立などさまざまな取り組みを行い、天皇から食事の招待状が届いたが、応えることなく34年(昭和9年)、65歳で亡くなった。
40年(同15年)に銅像が建てられたが、戦中に金属供出され、現在の銅像は56年(同31年)に建て替えられた。
メンバーらは「“村長通り”(田中氏が役場に通った約2㌔)の名称になった人物の人となりを初めて知った」などと話しながら、銅像をきれいに磨いていた。
秋山代表は「生誕150年目の一昨年から始めたかったが、コロナ禍などで今年からのスタートとなった。今後は村長通りの草苅りなども行い、先人に感謝の気持ちを表していきたい」と述べた。
先人に感謝、八潮市でお身拭い