越谷市と家康の知られざるエピソードを広めようと、展示会「徳川家康こしがや館」(旧日光街道・越ヶ谷宿を考える会主催、越谷市、同市教委など後援)が3日から5日まで、同市中町の旧日光街道沿いの店舗「ぬ志徳」で開かれ、連日多くの人でにぎわった。
NHKの大河ドラマ「どうする家康」の放送にちなんで企画。徳川家康と越谷の関係を紹介する展示を行った。パネルだけの小さな展示会だったが、家康の「夜具」の実物大写真パネルなど貴重なものに市民は見入っていた。
旧街道周辺の商店など約20か所にひな人形を展示する恒例イベント「越ヶ谷宿の雛(ひな)めぐり」のイベントとして実施した。企画したのは市民団体「旧日光街道・越ヶ谷宿を考える会」のメンバー宮川進さん(84)で、「越谷は家康の足跡が県内トップクラス。活用しない手はない」と開催を決めた。
郷土史研究家の宮川さんによると、江戸に拠点を置き関東を支配した家康はたびたび越谷を訪れ、趣味の鷹(たか)狩りをした。幕府を開いた後には休息施設の「越ヶ谷御殿」を建設。大坂の陣の前後に滞在した幕府の記録もあるという。「鷹狩り」とは、慣らした鷹を飛ばし、野鳥などを捕らえさせること。
そんな縁もあり、市内にはゆかりの品や場所が残る。御殿の完成前、鷹狩りで宿泊所にした大聖寺(同市相模町)には、家康が与えたかいまき布団「夜具」(市文化財)や、浄山寺(同市野島)の寺領を認めた「朱印状」(同)、馬をつないだ林泉寺(同市増林)の「駒止(こまどめ)のマキ」(市天然記念物)などがある。
展示されたパネルは夜具や浄山寺と他の2寺院所蔵の徳川家発行の朱印状(ともに市文化財)、4代将軍・家綱まで使われ、江戸城内に移築された越ヶ谷御殿跡(市旧跡)など約20点。蓮田市にもあった御殿の資料も紹介された。
市内のパート、関敦子さん(56)は「家康が越谷を訪れたとは知らなかった。夜具など貴重な写真が見られてよかった。勉強になります」と話していた。
宮川さんは「家康が日光街道を越谷を通るルートにしたのも、鷹狩りに引かれたのかも。展示は規模は小さいが、多くの方に知ってもらえてよかった」と笑顔で話した。
越谷に家康の足跡 パネル展、市民でにぎわう