八潮市の歴史を後世に継承するため活動を続けているNPO法人「八潮市域の歴史文化とまちづくり」(秋山憲禮代表)がこのほど、同市南川崎の「JAさいかつ潮止支店」敷地内にある「田中四一郎像」をきれいにするお身拭いと、その周辺の清掃活動を行った。
田中四一郎は1903(明治36年)に潮止村の村長となり、水不足の解消や都会の悪習防止を目標に、「自治」「物資」「良心」の造成を村治の方針に掲げた。
「信用組合」を重要視し、小学校と農会が両翼となり、宗教家や青年会も巻き込んで村ぐるみで取り組む体制を整備した。11年(同44年)には当時の内務省から模範村として選奨された。
その後も潮止自治学校の開校、潮止村耕地整理組合発足、潮止用水機場の設立などさまざまな取り組みを行い、34年(昭和9年)に65歳で生涯を閉じた。渋沢栄一とも交流があったとされ、「輯睦(人と人が仲むつまじい様子を指す言葉)」と書かれた渋沢の書が同支店に飾られている。
40年(昭和15年)に銅像が建てられたものの、3年後、戦争による金属供出で〝出征〟。現在の銅像は八潮村ができる直前の56年(同31年)に建てられた。
秋山代表は「市の社会科副読本にも記載がある人物。渋沢との関係も多くの人に知ってもらい、継承して行きたい」と話していた。
同日は田中が自宅から村役場に通った〝村長通り〟約2㌔のうち南側200㍍程の清掃活動も行った。