古代の越谷には「河畔砂丘」という砂丘地があり、そこで人の暮らしがあった。越谷市大林の「海道西遺跡」でこのほど、平安時代(9世紀ごろ)の竪穴式住居と河畔砂丘地を示す砂地が発掘された。同市内で河畔砂丘の遺跡が見つかったのは初めて。平安時代の竪穴式住居の発掘も初めてで、調査した同市教育委員会は「市内には平安時代創建とされる寺社が存在し、市域に平安時代の集落がある程度展開していたと考えられるが、今回、その証拠を示すことができた」としている。同遺跡は元荒川沿いにあり、流域には西側に「大道遺跡」もあり、この発掘により古代に複数の集落があったことが分かった。県内の河畔砂丘の南限は越谷市とされ、今回の発見は河畔砂丘で暮らす庶民がいたことが証明された貴重なものとなる。
河畔砂丘は、河原の砂が風によって巻き上げられ、高く積みあがったもの。砂丘形成には、大量の砂を運ぶだけの大河川があり、乾燥した季節に一定方向の風が吹き続けるなど、いくつかの条件がある。国内では珍しい存在で、利根川の旧河道(ルビ・きゅうかどう)、木曽川、北上川など、太平洋側の大きな河川沿いにしか形成されていない。
県内では、羽生市から越谷市にかけての利根川の旧河道沿いに点々と分布しているものの一部。利根川の旧河道は、かつて利根川が東京湾へと流れていた頃の本流筋の流れ。この流れに乗ってきた榛名山や浅間山の火山灰などによって砂丘は形成されている。現在の元荒川は利根川の旧河道。
越谷市では今回が初めての発掘だが、隣の春日部市内の砂丘では、発掘調査により平安時代から室町時代にかけての時期に形成されたことが明らかになっているので、越谷市内の砂丘も同じ時期と考えられる。
今回の発掘は、住宅メーカーによる分譲住宅建設に伴い、越谷市教育委員会が調査を実施した。発掘は4月から5月にかけて行われ、面積は約140平方㍍。発見された竪穴式住居は約14平方㍍。土器類も数千点出土した。土師器、須恵器、土錘(魚を捕る重り)、などが見つかり、土器の特徴から平安時代の遺跡であることが判明した。市内での竪穴式住居が発掘されたのは今回が4か所目。
住居内にはかまどの跡があり、炭の跡もあり、生活していたことが明らかになった。また、近くには死んだ人を火葬する「火葬土坑」も発掘され、人骨の一部もあった。
調査をした同市教育委員会生涯学習課の莵原雄大・主査によると「砂丘であるため、住居の壁が流出していると思ったが、意外としっかり残っていた。砂丘の中でも比較的硬い層まで掘り下げ、さらに住居床面を硬化させるなどの工夫をしていたと思われる」という。
元荒川流域には、今年初めに「大道遺跡」が発掘され、両遺跡で使われている土器が「武蔵型甕」と呼ばれる特徴を持っており、共通した文化を持っていたことが推測できる。
莵原主査は「河畔砂丘の遺跡は調査例が少なく、今回の調査で考古学的な成果だけでなく、地質学的な成果に反映できるのではないか。土地利用にどのような意味や特徴があるのか、まだ分からないことばかりだが、それらを明らかにする一端になったのでは」と話す。
同市教委の木村和明・生涯学習課長は「市の歴史を考えるうえで新たな知見を得ることができた。調査で得られた成果を今年度中に発掘調査報告書としてまとめ、郷土理解や郷土学習の資料として活用していきたい」と話していた。
平安期の竪穴式住居発見・越谷「海道西遺跡」