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大正の「送電線台座」発見・旧越谷飛行場跡地で

 越谷市大沢の郷土史研究家、秦野秀明さん(55)(接骨院院長)がこのほど、終戦直前に完成した「越谷陸軍飛行場」(同市小曽川)跡地で、送電線の鉄塔の基礎部分を発見した。滑走路建設に伴い撤去されたものとみて調べたところ、「東京電燈」(現在の東京電力の前身)が1914年(大正3年)、新潟県津南町の水力発電所から越谷を通って東京・亀戸変電所まで敷設した送電線とわかった。当時の最高電圧の送電線で、「大正期の東京の電力需要や産業発展に寄与した」(東京電力)という。このため、秦野さんは「送電線遺構は後世に残すべき。『近代化遺産』となるよう行政などに呼びかけたい」と話している。

 越谷陸軍飛行場は、太平洋戦争末期の1945年6月、現在の越谷市小曽川と、さいたま市岩槻区にまたがる地域に完成した。滑走路はできたが使われず、“幻の飛行場”と呼ばれる。さいたま市岩槻区の稲荷神社には、滑走路のコンクリートで「興農事業完成記念碑」が建立されている。

 秦野さんは昨年秋、同飛行場跡地を調査しようと、県営しらこばと水上公園に隣接する跡地を訪れた際、上部に金属の柱のようなものが挿入されたコンクリート台座(約1㍍四方で高さ約80㌢)を発見した。国土地理院の「地図閲覧サービス」で同飛行場跡周辺の地図を確認すると、28年(昭和3年)には「送電線」の記載があったが、戦後の49年(同24年)の地図では滑走路跡の記載だけで、送電線は消えていた。

 このため秦野さんは、送電線の設置者と見られる東京電力(当時の東京電燈)の「電気の資料館」(神奈川県横浜市)を訪ね、学芸員らに調べてもらったところ、送電線は1914年(大正3年)に設置されたものであることが分かった。

 新潟県津南町の水力発電所から越谷を通り、東京都の「亀戸変電所」まで送電する、「上越線」と呼ばれた送電線で、当時の日本最高電圧の15万4000ボルトを送っていたという。同館は「大正時代の東京の電気利用の拡大や産業発展に寄与した設備」で、貴重なものと位置付けている。

 秦野さんが確認した送電線台座は、同市南荻島と小曽川地区の農地の3か所。「謎の台座は送電線鉄塔の基礎の部分と判明した。大正時代に設置され、終戦後70年以上経っても台座と鉄がしっかりと残っていることに驚いた」と秦野さん。「この台座跡により、越谷に飛行場があったことが裏付けられた」という。近くの農業、川上博之さん(84)は「幼い頃、畑にあった送電線鉄塔のコンクリート製土台を見たのを覚えている」と話す。その土台は国道バイパス工事で撤去されたという。

 国の近代化に貢献した産業、交通、土木に関する「近代化遺産」は現在、全国で1115か所が認定されている。秦野さんは「この送電線遺構を近代化遺産にするよう行政に働きかけ、さらに撤去を知る人たちから聞き取るなど調査を進めたい」と話す。秦野さんの研究リポート「越谷飛行場と送電線鉄塔の基礎の遺構群」は、秦野さんが副会長を務める「越谷市郷土研究会」のホームページに公開されている。