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室町期の「大溝」(人口水路)発見・越谷「大道遺跡」

 越谷市大道の「大道遺跡」からこのほど、室町時代(1300年代)に造られたとみられる人工的な水路「大溝」が発見された。総延長150㍍以上、深さ約2.5㍍、幅約9㍍という大規模なもので、古代から近世にかけて、この地域に集落があり、長い期間水路が使われていたとみられる。それを証明するように、200点以上の遺物が同時に出土している。同市教育委員会は「古代から近世にかけての遺跡の発見は市内初。集落の存在が明らかになった。大溝の規模は想像を超えるもので、広域で整備されていた可能性がある」と話し、貴重な郷土資料として、さらに調査を進めるという。

 大道遺跡は、同市の西大袋土地区画整理事業の進捗に合わせ、2001年度から継続的には発掘調査されている。今回は今年9月8日から11月26日まで同市教委が約150平方㍍を対象に調査した。
 この結果、市内初の発見となった人口的な水路「大溝」の中から、大量の遺物も見つかった。遺物は、9世紀から18世紀に使われていたとみられる「須恵器」(古代)、「鍋」(中世)、「瀬戸美濃焼」(中世)、「備前陶磁器」(近世)などバラエティーに富む約200点。「市内でこれだけの時代をまたぐ遺物が見つかるのは初めて」(同市教委)。
 大溝の上層部には、江戸時代(18世紀)の遺物も含まれており、大溝は数百年にわたる長い期間、使われていたことが推定されている。
 溝の掘削には、相当の労働力が必要なため、“村”単独の事業ではなく、村を超えた広域事業だった可能性があるとみられる。
 このほか、平安時代の「丸鞆」(役人の腰ベルトの飾り具)や、遺体を火葬する「火葬土坑」、「井戸跡」も見つかり、生活の痕跡が明瞭に残っていた。
 調査をした同市教育委員会生涯学習課の莵原雄大・主査は「大溝の規模に驚いた。古代から中世にかけて実際の遺跡から生活の痕跡がみつかるのは、大変貴重な発見だ」と驚く。
 立ち会った埋蔵文化財の専門家も「見つかった遺跡は、戦国時代から江戸時代前期まで機能していた可能性が高い。南北朝時代の土器・陶磁器もあり、この頃の遺跡は検出例が少ないだけに注目される」と話している。
 大溝の南側には元荒川が流れており、そこにつながっていた可能性もある。さらに対岸の浄山寺(同市野島)の本尊は、平安時代初期に作られたとされる「木造地蔵菩薩立像(もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう)」(国重要文化財)で、元荒川を隔てて平安期に人が交流していた可能性も考えられている。
 同市教委の木村和明・生涯学習課長は「大道遺跡の調査が進み、歴史的な事実が明らかになってきた。調査で得られた成果を郷土理解や郷土学習の資料として活用していきたい」と話している。