半世紀ぶり 職人の元へ
1970年代などに草加の皮革で製作された貴重な野球グラブが、半世紀の時を経て6月6日、「そうか革職人会」(伊藤達雄会長)の元に寄贈された。寄贈したのは草加商工会議所(野崎友義会頭)の山﨑修専務理事(56)。39年創業のタンナー(皮をなめしてなめし革にする製革業者)を今年3月に視察した際、自身がコレクションしてきたグラブに草加の革が使われていたことを知り、「自分が持っているよりも」と寄贈を決めた。関係者は「運命的な出会い」と感謝している。
<草加の皮革産業>
皮革は製造工程で大量の水を使うため、1935年に皮革会社が地下水が豊富な草加に工場を開設して以来、東京・三河島から業者が続々移転してきたのが始まり。戦時中、皮革は統制品の指定を受け操業が難しくなったが、戦後の統制解除後、原皮の輸入の増加に伴い活況を取り戻した。現在は原皮調達から製品化までを市内でまかなえる、国内でも珍しいレザータウンに成長している。
後世につなぐ伝統技術
草加市文化会館で行われた寄贈式には、山﨑専務理事のほか、「そうか革職人会」の伊藤会長(71)、なめし革の製造会社で、現在は越谷市新川町で硬式野球グラブ用の牛革をなめしている「ジュテルレザー」(菅原英明社長)の沼田總会長(57)らが集まった。
山﨑専務理事は30点ほどあるコレクションから、昔、自分が愛用していたグラブのほか、未使用など状態が良い物を10点(うち1点は左手用)ほどピックアップして寄贈した。いずれも大手総合スポーツ用品メーカー、ミズノ(水野明人社長、本部・大阪市)製。同社が76年に発売し、王貞治選手や野村克也選手など当時の有名プロ野球選手が使用していた硬式用モデル「ワールドウィン」の〝赤カップ〟など、今もマニアの間で高値で取引されているグラブも数点含まれている。
山﨑さんは「高校生時代に使用していたファーストミットが、実はジュテルレザー製の革だったことに感銘を受けた」といい、「ジュテルレザーの資料として多くの人に見てもらい、ひたむきな物づくりが大きな感動を呼ぶことを知ってもらいたい」と述べた。
ジュテルレザーの沼田会長は「創業当時の物はほぼ現存していない。寄贈されたグラブには未使用の物や希少性の高い物もあり、資料としての価値も高い」と喜んだ。同社は往年の名選手が愛用したのと同型のグラブやボール、スパイクなどを社内の資料として保存している。同社では工場見学も行っており、寄贈されたグラブは店内に展示するという。また、同革職人会の伊藤会長は「貴重で思い出の詰まったグラブを寄贈いただいた。今後は草加市文化会館内の伝統産業展示室などでの展示も考えていく」と述べた。
ジュテルレザーは国内だけでなく世界からも注目されているタンナー。74年にミズノ(当時・美津濃)がグラブを大々的に売り出すため徹底的に研究した結果、革が大切という結論になり、全国のタンナーに要請があった。ジュテルレザーに偶然飛び込んできたミズノの人にサンプルの生地を4、5枚渡したところ、品質の良さが認められ、グラブ用の革を製造することになった。
「そうした歴史や企業理念に感銘を受けた」と山﨑さん。グラブは空き家となった実家の一部屋で保管していたこともあり、「何とかしたい」と思っていたという。「大切に使えば50年以上も使える革製品の素晴らしさを伝える教材になれば」と山﨑さんは話している。