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希少な版画を蔵で発見 越谷

越谷市市民活動支援センターに展示された坂本義信の「土佐三十絵図」
越谷市市民活動支援センターに展示された坂本義信の「土佐三十絵図」

「土佐三十絵図」を公開 28日まで市民活動支援センター


 高知県出身の画家、坂本義信(1895~1988年)の版画「土佐三十絵図」が越谷市越ヶ谷の染谷隼生さん(今年1月96歳で死去)宅の蔵から見つかった。坂本が同県内を巡って制作した名作。戦後、進駐軍の米英軍幹部らに絶賛されたのを機に数十部が米英に渡り、国内に残るのはわずか数部とされる。発見されたのは版画全30枚と解説書、桐(きり)の箱で、保存状態も良い。28日まで越谷駅東口の越谷市市民活動支援センターで展示されており、昭和初期の高知の風景がわかる貴重なものとなっている。

坂本義信について調査した「越ヶ谷蔵物語史料研究グループ」の会員ら
坂本義信について調査した「越ヶ谷蔵物語史料研究グループ」の会員ら


 「土佐三十絵図」を発見、調査したのは、同市内の郷土史研究家で作る市民グループ「越ヶ谷蔵物語史料研究グループ」の早川秀郎さん(85)、宮原泰介さん(77)、河内出さん(75)の3人。染谷さんは鳶(とび)職親方。戦後の食糧難の頃、越谷に米や野菜を買い出しに来た東京の人が現金代わりに美術品を置いていった。
 早川さんらは貴重な歴史資料をまちづくりに役立ててほしいと展示を企画した。5月3日から「越ヶ谷蔵物語第3幕 鳶の親方・染谷家の蔵」展として開催中で、絵図のほか、歌川広重の「東海道五十三次」の53枚を一堂に集めた「東海道五十三駅風景続画」も展示されている。
 早川さんらによると、坂本は1895年(明治28年)、高知県窪川町(現在の四万十町)生まれ。師範学校を卒業し、小学校教員を7年勤めた後、上京。太平洋洋画研究所で学び、同県出身の洋画家、石川寅治に師事した。石川は木版を制作しており、後年坂本が絵図を版画で制作するきっかけとなった。その後、高知に戻って念願の図画教員になり、教職の傍ら、木版画の制作に打ち込んだ。
 「絵図」は1932年(昭和7年)から制作を開始。当時は交通不便で、ほとんど歩いて取材した。最後の土佐藩主、山内豊範の四男、山内豊中海軍少将に完成を励まされ、35年(同10年)に完成すると、山内家が2部購入。「土陽美術展」に出品すると話題になり、三笠宮さまにも献上した。
 絵図は水彩画を思わせる風景スケッチで、版画らしくないやさしいタッチが特徴。早川さんは「郷土を愛し、明朗でまじめな人柄が作品によく出ている。30枚を見ると高知を観光している気分になる」と話す。桂浜や室戸岬なども当時の面影をうかがえる。
 絵図は戦後50部刷られたが、米英の美術評論家らに絶賛され、ほとんどが海を渡った。47年(同22年)に米クリーブランドの「万国美術観光ポスター博覧会」に高知県代表として出品され、戦後の日米親善にも重要な役割を果たした。
 染谷さんの長男、三夫さん(69)(染谷コンクリート社長)は「こんな貴重な版画を保管していたとは知らなかった。きちょうめんな性格で蔵に保存してあったのが幸いしていたのでしょう」と話した。
 早川さんは「だれが絵図を染谷さんに持ち込んだのかなど謎は多い。個人で保有しているのは全国で染谷さんだけかもしれない」という。
 展示は28日まで。入場無料。
 <問い合わせ>越谷市市民活動支援センター☎969・2750。