八潮市 最新のニュース

八潮/時計業で功績 八潮の偉人 足跡伝える

浮塚出身 小林伝次郎 「セイコー」の発展にも影響

 セイコーグループの創業者、服部金太郎に多大な影響を与え、日本の時計業の始祖とも言われる、現・八潮市出身の小林伝次郎(1829年~1907年)。その足跡を「八潮市の地名から学ぶ会」事務局長の昼間良次さん(50)が丹念に調べ上げ、リーフレットを作成した。先月には伝次郎の子孫らを集め、功績などを説明。昼間さんは、伝次郎について地元の偉人として広く知らせたいと意欲を見せている。

子孫の小林さんらに説明する昼間さん(写真左)

地名から学ぶ会 昼間さんがルーツ解明

 八潮市との関わりが判明したのは二代目・小林伝次郎(幼名・伝治郎)。1829年、埼玉郡浮塚村(現・八潮市浮塚)の豪農、小林八十右衛門の次男として誕生。44~48年に和時計の名工で、偶然にも姓名の読みが同じ初代・小林伝次郎に弟子入りし、後に養嗣子(ようしし=家督相続人となる養子)となった。

 54年頃、京橋八官町(現・東京都中央区銀座)に土蔵造二階建ての店舗を新築。和時計から洋時計製造に切り替え、イギリス製の時計製造技術を導入した。また、76年には文字盤の直径が約1・8㍍もある時計塔を竣工し、「八官町の大時計」として東京名物になった。これに感化された服部金太郎は後に、「服部時計店」を創業。さらに94年には銀座4丁目に時計塔(現在のものは二代目)を完成させている。

 伝次郎は経営手腕にもたけ、90年に東京時計商組合(後の東京時計商工業組合)の初代頭取に就任。96年、米国ウォルサム時計会社の総代理店の権利を獲得し、1907年に数え年79歳で亡くなるまで時計業界の発展に尽力した。

 だが、関東大震災で八官町の本店は焼失。娘婿の三代目・伝次郎は大地主として復興に協力し、銀座発展の基盤となったが、第二次世界大戦中の43年12月、四代目・伝次郎が営む小林時計店は廃業した。

 昼間さんは26年前に「銀座物語」(野口孝一著、中公新書)を読んで、浮塚出身の二代目・伝次郎を知り、10年程前から少しずつ資料を集めた。二代目が時計産業をけん引し、三代目が銀座復興と切り離せない存在であることから、八潮市の助成を受け、大震災100年の昨年、二代目の命日である11月19日にリーフレットを完成させた。

 昼間さんは先月15日、同市浮塚にある伝次郎の直系子孫、小林一朗さん(65)の自宅事務所で、小林さん夫妻や親戚の芦川博行さん(55)一家ら関係者に集まってもらい、伝次郎の足跡を説明した。一朗さんは、「『セイコー』の発展に多大な影響を与えた人物が直系の祖先だったとは」と驚き、芦川さんは「ここまで調べ上げてもらいぼんやりした話が現実味を帯びた」と感謝していた。また、浮塚町会の藤波實町会長は「八潮の人々に広める機会を作りたい」と述べた。

昼間さんが作成した「三つ折りリーフレット」

 昼間さんは「関係する家や人を訪ね、伝承やアイテムを発掘できたのは幸運」とし、「浮塚という地名が取り結んだ縁。改めて地名から学べた」と話していた。
 リーフレットは八潮市内の公共施設で無料で配布しているほか、国立科学博物館(東京・上野)や中央区立京橋図書館(東京・新富)で配架されている。