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越谷で養鶏農家が消えた・最後の大塚さん廃業、「立体ケージ」発祥の地

2020.9.15(越谷市)
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 “ケージ(かご)式養鶏”で、現代養鶏発祥の地とされる越谷市で、ついに養鶏の灯が消えた。最後の養鶏農家、大塚隆一さん(74)が猛暑や高齢化を理由に8月いっぱいで養鶏をやめた。越谷の養鶏は、1935年にケージ式鶏舎を立体化した飼育法を考案し、70年代には約150軒が養鶏業を営むほど発展した。しかし、都市化に伴い、鳴き声や臭いへの苦情が相次ぎ、養鶏農家は激減。25年前からは大塚さん1軒だけ。その卵は「こがわりの卵」として人気だったが、「ここ数年の猛暑は鶏の命にとって危険。何かよい方法があれば…」と廃業を決断した大塚さんは無念さをかみしめる。

 稲作農家の大塚さんは、「年間通して、安定した収入を」と1968年に養鶏を始めた。背景には国の減反政策もあったが、越谷発祥の養鶏ケージなどに設備投資し、養鶏にかけた。当時の養鶏は、価格が高値安定した“農業の優等生”だった。

 妻の数恵さん(70)と、二人三脚で取り組んだが、高度経済成長の波にも乗り、82年には養鶏場を約6000平方bに広げ、1万7000羽を飼育する市内有数の養鶏農家になった。売り上げは卵だけで、10000万円を超えたという。

 「越谷は”現代養鶏発祥の地”として、70年代後半には養鶏農家は約150軒。飼育羽数は、ひなを加えると100万羽にもなり、鶏卵の生産額は12億5000万円に上った」(同市農業振興課)。

 しかし、急速な都市化や卵価の低迷、飼料価格の高騰などで、83年以降は市内の養鶏農家は激減した。「臭いや鳴き声の苦情が相次いで、増林地区などの多くの農家がやめていった」と大塚さん。大塚さん宅は住宅街ではないため、養鶏を続けることができた。

 養鶏で最も気をつかうのは衛生面。「病気になったら、卵は売れず、鳥インフルエンザなどの感染症になれば、処分しなければならない」ため、養鶏場に入る時は神経質になるくらい気を付けたという。

 こだわりの飼料を与えた「こだわりの卵」は評判を呼び、自宅に卵の自動販売機を設置すると、毎日、午前中に完売した。「近くの越谷総合技術高校の先生が訪ねてきて、教材になったのが、うれしかった」と大塚さんは振り返る。

 82年には自宅敷地に鶏の供養の石碑、「鶏魂碑(ルビ・けいこんひ)」を建立した。

 ブドウ狩りができるブドウ園を開園し、ブルーベリーやイチジクなどの栽培にも取り組んだが、70歳を超え、養鶏場の清掃などがきつくなった上、ここ数年の夏の猛暑は鶏にもこたえてきた。

 「暑さと体力がきつい」ため養鶏を断念した大塚さんは、28日、市内相模町の大聖寺で鶏への感謝を込めて「鶏供養法要会」を開くという。
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