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痛切な思いを原動力へ・助川牧さん<震災10年>D

2021.3.8(三郷市)
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 「子ども食堂」に情熱を注ぐ人たちの動機はさまざま。三郷市三郷の主婦、助川牧さん(43)は、東日本大震災がきっかけだった。震災の約1か月後、ボランティアで入った宮城県石巻市のある避難所。仕事などで親が出かけ、ガランとした体育館で子どもたちがぽつんと留守番。「災害時にも子どもたちが集まることのできる場所があればいのに」。痛切な思いが心に残った。

 あの日、勤め先の東京・銀座の化粧品会社にいた助川さん。ビル8階のオフィスは激しく揺れた。「新潟の実家の両親と連絡は取れず、帰宅もできず同僚宅に泊まった」。

 東京勤めの多くの人たちが体験した帰宅困難を味わい、物流ストップで会社の営業も一時止まった。

会社が再開した4月半ば、10人ほどの遊び仲間たちから被災地への災害ボランティアに誘われた。「友だちと一緒なら」と、軽い気持ちで石巻市のボランティアセンターを訪ねた。

 任務はがれき撤去。あまりに激しい臭いと想像を絶するがれきの量。「片手間の甘いボランティア気分は吹っ飛んだ」。

 目の前の一つひとつから片づけていこう、と腹を決め、月1回程度、被災地に通う。「別々に津波にのまれながら奇跡的に救助され避難所で再開した夫婦に出会い、今でも親交を続けている」という。

 会社の化粧品を被災地に贈ろう――と上司に提案。社長の快諾で化粧水や美容液、乳液など基礎化粧品などを避難所などに寄贈する運動も始めた。

 会社勤めとボランティア活動を続けてきたが、5年前、結婚を機に退職。出産も経験し、災害ボランティアに区切りを付けた。

 そんな時、「子どもたちの集まることのできる場所」との思いを託す場所が見つかった。地元の「わせだ子ども食堂」(寺沢美紗代表)だ=2月22日、『緊急事態再び』で既報=。

 今、コロナ禍の中で新規オープンに苦闘する同食堂の寺沢代表(43)を助ける助川さん。「災害時に子ども食堂のような場所近くにあれば、どんなに心強いか。私たちも、きめ細かく子どもたちの世話ができる」と強調する。子ども食堂は困窮世帯対策ばかりではない」と。
   (佐藤 龍一)
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