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東北復興が会社の使命・太田久年さん<震災10年>A

2021.2.16(吉川市)
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 「被害に遭った人たちが会社を助けてくれたと実感した」というのは、吉川市中曽根の建設コンサルタント「ホウユウ」の太田久年(ルビ・ひさとし)さん(55)。10年を迎え、「亡くなった人たちに報いるためにも、復興に尽力しなければ」との思いを強くしている。
     □  道路はじめ交通計画、区画整理、ダム設計などにあたる会社は瀕死(ルビ・ひんし)の状態だった。旧民主党政権時代、携わってきた「八ッ場(ルビ・やんば)ダム」(群馬県長野原町)の突然の建設ストップ。「事業仕分け」で、国の治水や防災事業が大幅に削減され、建設業者の倒産、廃業が相次ぐ。「ホウユウ」も例外ではなく、「倒産」寸前まで追い詰められていた。

 その矢先の東日本大震災。映像に衝撃を受けながら、「いずれ仕事のオファーが来ると思った」。新潟県の中越地震(2004年10月)の復興に関わった経験からだ。

 3か月後、災害の復旧査定業務の応援を頼まれた。7月、「戦後の焼け野原のような」仙台港に立ったとき、復興には長い時間がかかると思わざるを得なかった。以来、社員全員が2週間ごとに泊まり込みで査定業務に没頭した。各地を転々とし、道路網の設計で復興後の交通の便を整え、ダム建設のノウハウを生かして防潮堤建設にも取り組んだ。

 「関東で仕事がない分、被災地での仕事に全力を注いだ」。会社は生き延びた。被災者たちの魂が存続を可能にしてくれたと思えたとき、復興の仕事が「会社の使命」となった。
     □  昨年11月にも太田さんは現場に向かった。

 「街の様子は震災直後とは、すっかり変わっていた。それでも、人々の暮らしは震災前には戻っていない」というのが、率直な印象だった。3・11から10年になろうとしているのに、復興の歩みは遅々としており、「東北が元気になるためには、まだまだやることがたくさんある」。

 「私たちの仕事はいわば日陰の仕事。長期間で見てようやく成果がわかる。必要不可欠な仕事だけに、会社が存続する限り、亡くなった人たちのために尽力したい」という。「東北の復興はわが社の存在意義でもある」と。
(佐藤 龍一)