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避難乗り越え支援員に・中野祐子さん<震災10年>@

2021.2.8(越谷市)
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「中野さん、今、どこに避難しているの」
 「越谷市です」
「えっ、おれも越谷だよ」
 中野祐子さん(64)(越谷市赤山町)が社交ダンス仲間で、福島県浪江町出身の石上清さん(69)(同市東越谷)と再開をしたのは6年前。一時はうつになり、離婚も経験した中野さんの新たな避難生活の始まり。
     ◇  あの日、中野さんは勤務する相馬市内の水産会社の駐車場の車の中で遅い昼食を取っていた。突然、車が大きく上下に揺れた。駐車場のアスファルトはひび割れ、会社事務所の壁がはがれ落ちていく。

 「津波だ。仕事はいいから、すぐに逃げて」と社長が叫ぶ。必死で車で逃げた。自宅(南相馬市)に向かう国道6号線から海を見ると、「白い雲のようなものが見えた。それが津波だった。目の前を家が流れていく。震えが止まらなかった」。

 自宅には戻れず、相馬市内の親類宅に避難。家族(夫、姑=ルビ・しゅうと)は無事。自宅は何もかも消えていた。仮設住宅(南相馬市)暮らしの中、うつになる。仙台に単身赴任の夫(66)も情緒不安定になり、けんかが絶えずに離婚した。

 その後、吉川市内の長女(42)夫婦の元に身を寄せた。2015年4月、娘夫婦が越谷市内のマンションを購入したのを機に、赤山町のアパートを借りて一人暮らしを始めた。
     ◇  社交ダンスは、南相馬時代に趣味で始めていた。仲間の石上さんとの再開で、「生きててよかった」と心底思えて涙が止まらなかった。

 石上さんは、避難者でつくる「あゆみの会」の代表。中野さんも誘われて、会のイベントにも参加するようになった。

 現在、「福島県富岡町県外避難者支援拠点事務所」(さいたま市)の復興支援員として働く。福島第一原発事故で全国に散った富岡町民を訪問し、さまざまなサポートを続けている。

 「この10年。いろいろあったけれど、仲間に助けられた。これからは私が支援したい」。避難生活は、決して受け身でマイナスばかりではない。
  (安部 匡一)

 ―・―・―・―・―  間もなく東日本大震災から10年。津波や原発事故の爪痕は、まだまだ癒えることはない。福島から避難してきた人たち、被災地の人たちの支援を今も続ける人たち。それぞれの10年を追った。
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