写ったぁ

進まぬ工業団地計画・市が当初計画を変更?

2017. 5.22 (越谷市)
記事の写真
 越谷市中島の農地を対象に民間の「工業団地」構想が持ち上がり、すでに農地の売買契約(仮契約)も結ばれたが、一向に進展していない。地権者らによると、計画当初、越谷市幹部がバックアップを約束したというが、市側は「対象地は市街化調整区域の農業振興地域で、工業団地造成は無理」と対立している。関係者らは今後、市を相手取り、損害賠償訴訟を視野に入れているというが、どこでボタンが掛け違ってしまったのだろうか。

 2003年11月、同市増森の化学工場が「工場の敷地を広げたい」と同市産業支援課に相談したところ、同課は「1社では無理だが数社集まれば工業団地ができる」と工業団地化が可能と答えたという。このため、同工場が進出企業を募り計画を進めた。

 04年4月には、同工場と進出企業5社、それに市内の不動産業者が地権者対象の「説明会」を開いた。敷地は約11万6000平方bで、「東埼玉工業団地」(仮称)との名称で、農地の買収価格も提示された。

 2003年11月、同市増森の化学工場が「工場の敷地を広げたい」と同市産業支援課に相談したところ、同課は「1社では無理だが数社集まれば工業団地ができる」と工業団地化が可能と答えたという。このため、同工場が進出企業を募り計画を進めた。

 04年4月には、同工場と進出企業5社、それに市内の不動産業者が地権者対象の「説明会」を開いた。敷地は約11万6000平方bで、「東埼玉工業団地」(仮称)との名称で、農地の買収価格も提示された。

 関係者によると、04年1月、当時の同市産業支援課長は「工業団地造成は本来、市がやらなければならない事業だが、民間でやってくれればありがたい。(工業団地内の)道路工事ぐらいは市が造らなければ申し訳ない」と述べたという。同年11月には、面談の席で当時の関根勤副市長が、「(農地のため)農業振興地の除外、農地転用の話は非常に難しいが、一緒になってやりましょう」と話したため、市のバックアップが得られると理解して、事業を進めたという。

 05年6月までに、地権者の48人中39人が同意し、仲介の不動産業者と「売買契約」を結び、「契約金」を受け取った農家もいる。しかし、その後、市側は「対象地は優良農地で、工業団地化の計画はない」との立場をおり、工業団地造成の前提となる農業振興地域の除外、農地転用の手続きは取られておらず、計画は宙に浮いている。

 企業側は取材に対し、「ノーコメント」としているが、地権者の一人、会社員の前田健治さん(59)は「工業団地造成は遊休農地の有効活用につながる。市が協力すると聞いていたが、このまま進展しないのであれば、責任問題に発展する」と困惑の表情。用地買収や説明会開催などに奔走した、同市東越谷の不動産会社の鈴木皖支社長(75)は「行政も一緒になって進めようという話だったから、用地買収に汗を流した。地権者もこのままでは困り果てている。市は住民に説明する責任がある」と憤り、 別の不動産業者(79)も「行政は公正公明、普遍継続が必要。このままでは訴訟を起こすしかない」と語る。

 当時、農政課長として関わってきた、同市の長柄幸聖・市民協働部長に聞いた。
 ―工業団地計画はいつ知ったのか。
 05年5月、当時、農政課長に就任してから聞いた。当時から、現地は越谷ねぎの産地で優良な農地のため、(農地の)除外、転用は難しいだろうと認識した。
 ―なぜ、計画を進めなかったのか。
 まず、越谷市の「総合振興計画」に同工業団地の計画が載らないと、行政は動けない。農地を土地利用するためには、理由づけがなければだめだ。現在も計画はない。
 ―今後、工業団地はできるのか。
 今のままでは、中島地区での造成は無理。貴重な農地なので将来も残していかなければならない。
 【記者の目】14年もたなざらし状態の工業団地計画。市は少なくとも当初は計画を後押ししている。優良農地などから工業団地化が困難であれば早い段階で納得のいく説明を地権者や企業に丁寧に行うべきだった。このままでは市民と行政の信頼関係は大きく揺らぐだろう。                        GT(安部 匡一)MN
(安部 匡一)
>戻る