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東日本大震災から3年・一歩会が8日に記念イベント

2014.3.3 (越谷市)
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 東日本大震災から来週で3年が経つ。被災地の復興は思ったように進んでいない。福島第一原発事故による住民の避難生活も続いており、いつ地元に戻れるか先が見えない状況だ。越谷市内を中心とする避難者親睦団体「一歩会」(石上清代表)は、避難生活3年を機に、記念交流会「新たな出発」を8日午後1時から、越谷市市民活動支援センターで開く。多くの越谷市民と知り合い、交流を続ける同会会員たちが3年間を振り返り、新たな出発を考えるイベント。避難者は「福島に帰ることはできないだろう」と、自立に向かって市内に移住を決意した人もいるが、経済的な事情で決断できない人も多い。避難者の不安な日々は続く。

 一歩会は東日本大震災直後の2011年3月に、越谷市内の老人福祉センター・くすのき荘に避難してきた福島県浜通りの出身者で結成した「浜通り一歩会」が始まり。会員は300人にもなり、その年の4月29日に越谷市民との初の交流会が越谷レイクタウン調節池で開かれた。被災し1か月半でショックも癒えない時期だったが、市民が用意した小型ヨットに乗ったり、温かいもてなしに一瞬だが、震災を忘れた。それから市民との交流が続き、市民農園で一緒に野菜を作ったり、イベントに参加するなどして、「越谷は第二の故郷」と話す会員もいる。この交流会も3月8日に記念すべき100回目を迎える。
 現在の一歩会代表の石上清さん(62)は福島県浪江町出身。震災当日、町内の幼稚園バスの運転手として、園児を家庭に届けた後、幼稚園に戻ってから被災した。津波の甚大な被害のあった請戸を通ったばかりだった。幸い園児は皆無事だったが、「あと20分遅かったら津波に遭った」。しかし、その翌日、原発事故。同原発から自宅は6`の至近距離にあり、すぐに「避難」を命じられた。
 そして、石上さんは姉の住む越谷に避難した。今も東越谷のアパートに夫婦で住む避難生活を送る。石上さんは市内の避難者を訪問する市の臨時職員「震災避難者支援補助員」に採用されて、約2年間、避難者宅を訪問し、身近な要望などを聞いて歩いた。今年度から県の支援員として、県内の浪江町出身の300世帯700人を訪問する日々。「避難者皆さんの生活状況を聞くと、もう福島には帰れないとあきらめている人がほとんど。若い人は避難先で新しい仕事を見つけて新しい生活に入れるが、高齢者は無理。皆、最後は田舎で最後を送りたいという思いが強い」と石上さんは話す。
 石上さん自身も「福島に帰るのは無理だと思っている。子どもや孫たちも越谷に避難してきているので、できれば越谷に永住したい。ただ、経済的に家を建てるのは困難なので、これから先、国や東電で住むところをきちんと保障してもらいたい」と願う。

 現在、越谷市内には129世帯269人の避難者(1月31日現在)が暮らしている。市は独自の支援として、@市営住宅の無償提供A家電支援B上下水道の減免措置C自転車(リサイクル品)の提供D再生家具の提供、などを行っているが、2012年度末までに市内に避難した人が対象(Bは新たな人も可能)。市営住宅は当初10戸が入居していたが、現在は4戸となっており、自立している人も増えてきた。
 同市の荒井隆之・協働安全部長は「来年度も引き続き、同じ内容で支援を継続していく。今後については1年ごとに見直していくことになる。今のところ新たな要望はないようだ」と話している。
 一歩会事務局長の安斎作子さん(66)は「震災から3年が経ち、避難者の皆さんは今後、苦渋の選択を迫られると思う。福島に帰れない人も多く、越谷やほかの街に天教する人も増えている。私たちとさまざまな交流を続けましたが、この3年が一つの節目。今後の一歩会の役割は新たな一歩を踏み出すための会にしていきたい」と話す。
 先の見えない避難生活を送る人々。生活保障がされない不安が絶えない。震災から3年、被災者は「過去を振り返ってもしょうがない。前を見ていこう」と考える人も増えているが、心の傷を癒やせない人も多い。国や自治体の支援はいつまで続くか不透明で不安は尽きない。こうした中、一歩会が果たした役割は大きい。市民と避難者が親身になってきた支援は、3年を機に形は変わっていくかもしれないが、ベースにある心のつながりは消えない。テーマにあるように「新たな出発」を応援していきたい。
 (安部 匡一)
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