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写ったぁ

「一歩会」のリーダー・石上 清さん

2013.3.11 (越谷市)
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 「あの震災と原発事故から2年が経ちましたが、状況は変わりありません。このまま避難生活を続けるしかありませんが、過去を振り返っても仕方ないので、明るい未来に向けて、縁のあった越谷で暮らしたい」と東日本大震災から2年を振り返る。自宅があったのは、福島県浪江町。あの日、町内の幼稚園バスの運転手として、園児を家庭に届けた後、幼稚園に戻ってから被災した。津波の甚大な被害があった同町請戸(うけど)を通ったばかりだった。幸い園児は皆無事だったが、「あと20分遅くバスで走っていたら津波に遭った」。しかし、その翌日、東電・福島第一原発の事故。家は同原発から6`と至近距離にあり、すぐに「避難」を命じられた。
 白い防護服を着た警官に、「すぐに逃げて」と言われて、着の身着のまま、妻と次女、三女と孫たちの計8人で、その日から福島県内の避難所を転々。電気もなく、ふろも入れない日が続いたため、越谷市内に住む姉を頼って2011年4月6日に越谷市に避難した。姉たちの助けですぐに東越谷のアパートを借りることができ、越谷での避難生活が始まった。仕事もなく、ふさぎこんでいたところに近くに住む、避難者でつくる市民グループ「一歩会」の事務局長が毎日、訪問してきて、さまざまな援助をしてくれることから、「自分も何かしたい」と入会した。まず、やったのが、岩手県山田町へのボランティア活動。津波で甚大な被害を受けた同町へバスを借りて同会会員らを乗せて、がれきの処理などに向かった。その現場には言葉を失った。「岩手県の沿岸の方たちの家は流されて、命を失った方が多数いる。自分も被災者のために何かしなければ」と越谷市で募集した「震災避難者支援補助員」に応募。10月に採用された。
 同補助員の仕事は市役所が持っているデータをもとに、避難者を一軒一軒訪問し、家族構成や現状を聞き、「何か困っていることはないか」を聞く。この3月末で、現在の148世帯(311人)の訪問を終える見込みだ。「避難者はいろいろな人がいます。福島県から来たというと同郷の人からは、ありがたられ話がはずむことがあれば、迷惑がられることもありました。ただ今後心配なのは、一人で避難してきて孤独死などがなければいいのですが」と懸念する。
 昨年から浪江でもやっていた「社交ダンス」の講師を妻の寿美子さん(60)とともに始めた。地元の自治会館などで指導している。「東電の補償問題など解決していないことが多数あるし、警戒区域で浪江には戻れない。越谷の方には大変よくしてもらったので、今年、越谷市民になるつもり。3月で市役所の仕事が終わるので、4月以降、何か仕事を見つけて暮らしたい」と前向きな精神で、ほかの「一歩会」のメンバー約300人を引っ張る。
 (安部 匡一)
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