(吉川市)
企画も決定打不足・まち一体感も見えず 「なまずの里」の今
 「なまずの里 よしかわ」として吉川市は、町おこしに川魚の「ナマズ」をメインに出し10年以上になる。
 これまで、JR武蔵野線吉川駅前に黄金のモニュメントを設置したり、なまずのグッズ、なまずの里マラソンなどさまざま取り組みをしてきた。ただ、市外の人などから「どこでナマズが見られるのか」という声もあるという。
 吉川市が町おこしに「ナマズ」が一役かう事になったのは、江戸川、中川に挟まれた地域で、豊かな水田が広がっており、早場米の産地で、古くから中川では舟によって多くの物資が運ばれていた。  

JR吉川駅前の黄金のナマズモニュメント
   現在の吉川橋付近には、船着場があり人の流れも多かった。川魚料理を食べさせる料亭もあり「吉川に来て、なまず、うなぎ食わずなかれ」と言われるほど知られていた。用水、沼などでナマズはよく採れてたため、骨ごとたたいてつぶし、油であげた「なまずのたたき」を家庭で食べていたという。  河川、用水の改修工事などで、ナマズの生息も減ったため、家庭からナマズ料理は減ったが、料理店では、細々とナマズのタタキなどの料理を作ってきたという。
 これらのことから、全国各地にナマズはいるが、吉川ではまちおこしになるのではということで1995年から本格的にまちづくり事業が始まった。この年取り組んだのが、なまずのモニュメント設置で、日本の伝統技法で漆塗りの上に金箔を貼った親子の像が吉川駅南口広場に造られた。  黄金のナマズ像が評判になり、ナマズのヒゲが何度か盗難されさらに話題になったが、金箔のため金じたいの価値は少ないということだが急きょ柵を作るなど関係者をあわてさせることになった。
 市、商工会などがナマズの稚魚の放流、なまず感謝祭、なまずの里公園の設置、特産品開発などに取り組んだ。市民から「なまずせんべい」、「なまずまんじゅう」などのアイデアが出され、なまずの形をしたせんべい、型を押したものなど商品化した商品もある。  吉川産のナマズは飼育できないかということで、 地元の農家の人たちで組織する吉川受託協会では、水田をナマズの養殖池に変えて県水産試験場の指導を受け96年からナマズの養殖を始めた。これまで人工ふ化、人工受精にも成功しているが、卵から育てるには時間がかかりエサ代などのコストが高く付くため、現在は稚魚を仕入れて養殖をしている。生きたナマズのほかミンチにしたものを市内の店などに出荷しているが値段が高めなので一般には出回っていない。  ネーネングから吉川産の米を使用した「なまず御前」を毎年販売しているが、珍らしさがなくなったためか、一時ほどの売れ行きはないという。  市内で作られている「なまずグッズ」の販売をしている吉川駅北口に設置されているラッピーランドがある。店が狭いため数多くの商品は置けないため、利便の良いところに新しい店を造ろうと検討されている。同ランドで最近売り出したのが、「なまずのたたき」で市内の料亭の糀家、ますや、福寿家、魚竹の4店が交代で毎週金曜日に作り販売している。店によって多少味が違うとか。  なまずの里よしかわを全国的に広めたのは、これまでのロードレース大会から、「吉川なまずの里マラソン」として1996年から始め、各地から参加者を募集している。第1回の参加者が2729人だったが、今年の第11回大会には、これまで最高の4944人が参加している。第9回大会には、急きょシドニー五輪金メダリストの高橋尚子選手を招待し沿道には多くの人が集まった。  よしかわ観光協会事務局では「市民の中には、ナマズのまちと言うことを知らない人もいますが、今後も、まちの活性化のためナマズを活用したアイデアを考えていきます。吉川で生きたナマズを見られる場所も検討もしていきたい」と話していた。

 吉川市は、1955年に旧吉川町、旭村、三輪野江村が合併した。73年に武蔵野線が開通し、吉川団地が建設された。96年に全国で666番目の市として誕生した。10月1日の人口は6万2405人。