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西郷ゆかりの短銃保存・今井さん、戊辰戦争時曽祖父に

2017.6.26(草加市)
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 明治維新の立役者の一人、西郷隆盛から、戊辰戦争(1868年)の折に護身用にと曽祖父が譲り受けた拳銃が、ひ孫で草加市の地方公務員、今井規雄さん(59)の手で4世代にわたり大切に受け継がれている。幕末の歴史資料としても価値の高いこの古式銃は、8月20日まで、草加市立歴史民俗資料館(同市住吉1丁目、草加小学校西側隣接)の夏季企画展「我が家のお宝展〜守り継がれてきた思い・願い〜」で公開展示されている。今井さんは「本来ならば没収、処分されていたかもしれない我が家のお宝。受け継ぎ、次世代へ継承していく大切さを皆さんにも知ってほしい」と話している。

 展示中の古式銃は、米国のスミス&ウエッソン社が1861年に開発したモデルナンバー2、愛称「アーミー」と呼ばれる32口径、回転式6発の古式銃とみられる。長さ278_、厚さ約3a、重量約710cで、銃身に、福井県の銃登録第1号(明治19年)の刻印が打たれている。現在は、弾倉や銃身には鉛が詰められ発射能力はない。幕末の志士、坂本龍馬が慶応2年1月24日(1866年3月10日)、京都・伏見の寺田屋で襲撃された際に、長州藩の高杉晋作から譲られた拳銃で身を守ったことが龍馬の手紙で伝わっているが、同資料館が調べたところ「西郷がどのように入手したかはわからないが、これと同型のものではないか」と見ている。

 今井さんの曽祖父、今井玄良(1839|1913)は福井藩士。藩医の岩佐玄珪の弟子となり医師となったことが伝わっている。この拳銃とともに銃の由来を書き記した文書が代々受け継がれてきた。この文書は玄良が72歳ごろに当時を回想し書き付けたもので、「戊辰戦争の年、奥羽会津征伐があったときに、旧藩主松平公(松平春嶽のこと)より越後柏崎(新潟県柏崎市)へ出張を命じられた。7月15日、海軍医局の御旗を拝受し、摂津艦(新政府軍の軍艦)に乗り込み、小木(佐渡ヶ島)の港に到着。同24日、西郷隆盛陸軍参謀長自ら、護身用にと短銃一丁と弾丸百発を私に与え、陸軍参謀付きの軍医を仰せつかった」との旨が記されている。

 戦争が終わり玄良は福井に帰郷し、明治29(1896)年の時点で福井市宝永上町の「濟世館」という病院で種痘主任として勤務医をしていたことが記録に残っているという。

 拳銃とそれにまつわる古文書類は、玄良の長男の鉱山関係の仕事をしていた今井さんの祖父から父へと受け継がれ、国内各地を転勤しながらも大事に保管され、公開されることはなかった。30年前に、今井さんの所有となり、県教育委員会に届け出、現在、歴史資料の古式銃として登録されている。

 お宝を受け継ぐ今井さんは「由来がわかる文書が拳銃と一緒でなかったら、本来なら没収されてとっくに処分されていたはず。曽祖父が大事に守り、受け継いでいってほしいという願いが伝わってくる。この思いを皆さんにも知ってもらえたら」という。

 今井さんは7月2日午後2時から、同資料館で開く企画展講座「うけつぐということ」の講師として、この由来などを話す予定だ。定員先着60人。電話で申し込み受付。

 同展では、このほか、明治の廃仏毀釈以前の草加神社の御神体だった「十一面観世音菩薩像」、たん壺香炉仕立て(伝紀州徳川家)、横綱牛置物(清水六兵エ作)、昭和天皇の侍従、入江相政の自筆原稿なども展示中。

 <問い合わせ>草加市立歴史民俗資料館TEL922・0402(月曜休館)。
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