トップニュース

「瀬崎の富士塚」修復・100年前の姿に再現

2016.2.1(草加市)
ニュース写真
 草加市瀬崎の富士浅間(瀬崎浅間)神社の市指定民俗文化財「富士塚」がこのほど、氏子や住民らの手で修復され、100年ぶりに築造当初の姿によみがえった。同地域では、江戸時代からの富士山信仰の“冨士行”が今も継承され、藤塚と共に残るのは全国的にも貴重とされている。来月20日に遷座式が行われ、21日に完成記念式典が予定されているが、1916(大正5)年の富士塚築造から、100年目の“地域のシンボル”の復元に地元は沸いている。

 富士山をご神体とした浅間神社を信仰する「富士講」(注=一般的には富士講だが、瀬崎では富を旧字の冨、講は行を伝統的に使用し『冨士行』と称する)は、江戸時代に庶民に大流行し、富士山参拝登山が増加した。  「瀬崎の冨士行」も江戸時代に始まり、現在、関根喜代寿・先達(指導者のこと)のもと、毎年元旦と富士山の山開きの7月1日に同神社で、木遣り調の御神歌や御神語などを唱える「御伝(おつたえ)」と呼ばれる行事など、1年を通じて、昔ながらのやり方で各種行事が伝承され、富士参拝登山も3年に1度行われる。

 江戸時代は富士山が女人禁制だったことや、子どもや高齢者も富士参拝と同じご利益が得られるようにと、富士山に見立てた人工の山や塚が築造され、これが今も各地に残る「富士塚」だ。
 瀬崎浅間神社の富士塚は、大正5(1916)年8月に建立されたもので、富士山の溶岩や土を使い造成されている。高さは約4b、横幅約10b、奥行き8・6b。頂上に浅間神社の祭神コノハナサクヤヒメの姉、イワナガヒメを祭る石祠があるのが特徴で、正面に石段、左側に男坂、右側にゆるやかな女坂があり、女坂付近には胎内を模した洞穴「御胎内」がある。  市教育委員会生涯学習課によると、「各地で富士講、富士塚が減少し、瀬崎のように江戸時代から講が継承され、富士塚と両方そろっているのはまれで、全国的にも貴重」としている。

  富士塚は、経年劣化などで一部が崩れ落ち、溶岩や石材も欠落し、危険なため登ることが困難になっていた。冨士行講員や神社氏子らから、市民俗文化財指定をきっかけに、「かつての姿に修復したい」との声があがり、修復工事実行委員会(晝間和郎会長=浅間神社氏子総代=、関根喜代寿委員長=瀬崎の冨士行先達=)が組織された。市教育委員会の補助金300万円と市民や神社からの協賛金で修復費1750万円が集まった。  昭和30年代の写真や古老の記憶などを頼りに、祠の扉や溶岩などの石の欠落の補修、以前にコンクリートやアスファルトなどで応急処置されていた部分を取り除き、御胎内も崩落していたが、昔通りに石で積み上げた形に復元した。

 瀬崎浅間神社の宮総代、冨士行の講員でもある同修復実行委員会の谷古宇孝さん(62)は「復元された富士塚は瀬崎地区住民の心の拠り所でもある。地域のシンボルとして、地域のコミュニティづくりに活用していければ」と話している。  今年は、12年に一度の瀬崎浅間神社の大祭(おおまつり)が7月にあり、8月には、3年に一度の富士参拝登山も実施される。
>戻る