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「命のビザ」世界記憶遺産に・獨協大で申請報告会

2015.12.7(草加市)
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 第二次世界大戦下の1940年、リトアニア国で戦争難民のために独自の判断で日本への通過ビザ=命のビザ=を大量発給し多くの命を救った杉原千畝。出身地である岐阜県八百津町はその功績を後世に伝えるために2017年のユネスコ世界記憶遺産登録を目指し、日本ユネスコ国内委員会に申請し、このほど国内候補に選定された。申請に先立ち、ビザ発給パスポートの翻訳・解読を獨協大学外国語学部教授5人が担当した。

 その獨協大学天野貞祐記念館大講堂で11月21日、岐阜県加茂郡八百津町主催「杉原千畝ユネスコ世界記憶遺産登録申請報告会“命のビザ”発給の真実に迫る―獨協大学教授陣による翻訳で明らかになったこと―」が開催された。翻訳にも携わった山路朝彦副学長は「物的証拠としてのビザにより渡航が可能になったという学術的検証が申請に必要だった。手書きでの多くの言語を解読し歴史的事実の時系列にまとめた」と経緯を話した。

 講演ではNPO法人杉原千畝命のビザの理事・杉原美智さんが「杉原千畝を語るVISAS FOR LIFE」と題し、千畝の生い立ちからビザ発給に至るまでと帰国後の生涯を語った。千畝の長男の妻でもある美智さんは時折、家族の生活も交えて話した。

 第二部では外務省外交史料館の白石仁章さんと杉原千畝記念館館長の國枝大策さんが「史料から明らかになる杉原千畝」と題し対談を行った。領事館にユダヤ人が殺到した経緯や、ビザリストはほとんどがポーランド出身者であること、ユダヤ人の直接的脅威はソ連だったことなどを話し、「杉原さんは十分な旅費を持っていることなどのビザ発給の条件を満たしていない者にもビザを発給した。ユダヤ人への対応というより難民救済だった」、「たくさんの人が日本を通って命が救われたことを知ってほしい」と語った。
 ユネスコ記憶遺産は人類の貴重な資料を保存し広く一般に公開するための事業。日本ではこれまで3件が登録されている。

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