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安住前女川町長らが討論・3・11シンポで

2015.3.16(草加市)
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 草加市文化会館レセプションルームで7日、「忘れない3・11inSoka〜伝えたいあの日の記憶〜シンポジウム」が開かれ、震災当時の混乱の中、宮城県女川町町長として指揮をとった安住宣孝・前女川町長の基調講演とパネルディスカッションが行われた。
 「伝えたいあの日の記憶」と題した安住さんによる基調講演では震災発生当時、「誰かを助ける余裕もなかった。津波が来る度、根こそぎ建物がなくなっていった」という。役場が機能をなさない中、対策本部を立ち上げ陣頭指揮にあたった。「生きて生活していくには人・物・お金・情報が必要」だとし、水・電気・食糧、輸送道路の確保に加えて避難所で起こる問題や仮設住宅建設など山積した問題解決に奔走した。
 自身の経験から「完全防災は考えられない」とする安住さんは、今後のまちづくりとして「商業地・工業地を分けて人口7500人にふさわしいコンパクトなまちづくり」や「浜に議論する場としての番やづくり」を提案する。さらに、「誰かではなく我が身のこととして考えること」と「公正公平であることの決断」の大切さを訴えた。
 第二部では獨協大学国際教養学部の岡村圭子教授をコーディネーターに「そのとき私たちは何をすべきか〜被災者とともに考える地域の力〜と」題したパネルディスカッションが行われた。安住・全女川町長、田中和明・草加市長、一歩会(東日本大震災被災者の会)代表・新妻敏夫さん、つながりの会(草加市被災者の会)代表世話人・愛沢正志さん、つながりの会会員・上田京子さんがパネリストとして参加した。
 楢葉町出身の新妻さん、双葉町出身の愛沢さん、上田さんはいずれも原発事故から避難した。上田さんは「逃げろといわれても現状がわからない。少しでも情報がほしかった」と正確かつ的確な情報がいかに大切であるかを訴えた。また、安住さんは「財産が関係することは相互が理解をして細やかに進めることが大事」と公平公正さが大切であるとした。
 東日本大震災当時の女川町の人口は約1万人。3月1日現在、東日本大震災による女川町の死者は574人、行方不明で死亡届を受理された死亡認定者は253人で実に約8%の命が犠牲となった。また、住宅被害総数は3934棟(全壊2924棟、大規模半壊149棟)で、約90%にあたる甚大な被害を被った。
 未曾有の震災から4年。女川町ではJR女川駅が復活・開業する21日から「新生・女川まちびらき」として大規模温浴施設「ゆぽっぽ」を開業し“再盛”を目指す。22日には「2015女川町復幸祭 いざ出航!新生元年」と題したイベントが開かれる。

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