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シーボルトに感謝を込めて・<伝統から創造へ>

2011.7.4(草加市)
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 最終公演は、フランクフルトからバスで約1時間のヴュルツブルク。オーストリア国境に近いフュッセンまで約350qのロマンティック街道起点の地だ。
 昼過ぎにマイン川とレントゲン環状道路の交差するマリティムホテルのバルバロッサホール(385席)に到着。X線を発見し、第1回ノーベル物理学賞受賞のレントゲンは、ヴュルツブルク大学学長だった。また、ヴュルツブルク市と滋賀県大津市とは、1979年に姉妹都市を締結している。
 大津市は、天台宗総本山比叡山延暦寺のあるところとして知られている。今回の公演に参加している天台宗の僧侶たちにとっては、まったくの偶然。
 この地を「打ち上げ」に決めたのは、シーボルト協会の招致によるもの。シーボルトは、ヴュルツブルク大学で医学を学び文政6年(1823年)オランダ商館医として長崎の出島に着任。文政7年(1824年)には、長崎郊外に「鳴滝塾」を開き、高野長英や二宮敬作などを輩出した。
 会場には、協会長が出迎え、舞台の設営、客席の配置、チケットの手配などを分担。開演前に市内を散策。遊覧船が係留されているマイン川沿いに対岸のマリエンベルク要塞を見ながら市庁舎へ。庁舎前は、土曜日だったことからか人影はなく静かなたたずまいだった。
 隣接して「マルクト広場」がある。露店の市場が開かれ、買い物客でにぎわう。人と人が接する姿を見て思うことは、「国が違い、人種が違っていても、それぞれに日々の生活が存在し、その人たちが集う空間が存在」することだ。
 トラム(路面電車)が走る大通りには、多くの市民が繰り出し、アイスクリームを食べながら歩く子供たちを見て、ほっとする。
 のどが渇く。ところが飲み物の自販機が見当らない。ドイツを旅していて不便{?}なのは、町角に自販機がほとんどないこと。ヴュルツブルクでもタバコの自販機を1台見つけただけだった。
 リハーサルが終り会場に観客が集まり始める。ヴュルツブルク市長が着席し、最終公演「舞楽法会」が開演。比較的小規模なホールということもあり、演ずる者と見る者が「ひとかたまり」になって共通領域を共有するという「文化交流による一体感」が徐々に熟成されていった。
 地元のテレビ局が取材に入り、収録した後で事務局長の野原にインタビュー。「なぜヴュルツブルクを選んだのか」の質問に対して、「約190年前、シーボルトの訪日によって日本は、文化・社会制度・学問などの分野で示唆を得、西洋医学により多くの日本人の命が救われた。その返礼です」と答えていた。
 (創造する伝統ドイツ公演スタッフ・児玉一=文中敬称略)

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