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文化交流は人との繋がり・<伝統から創造へ>

2011.7.18(草加市)
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 雅楽・舞楽・馨明によるドイツでの文化交流最終公演を終えた。ヴュルツブルクのマリティムホテルの打ち上げには、在ミュンヘン主席領事舟木良恵が参加していた。ヨーロッパ公演でのサポートを得てきた知己だと言う。
 本年、日独交流150周年を迎え、ドイツ国内での日本人には、公私を問わず誇りと自信を持って活躍している姿があった。
 ところで、ドイツ人の来日は、約320年前の元禄3年(1690年)ケンペル。出島のオランダ商館医として勤務し、江戸参府で徳川綱吉に謁見している。
 文政6年(1823年)来日のヴュルツブルク出身のシーボルトは、近代日本の発展に貢献する。シーボルト事件(国外持ち出し禁止の日本地図を所有し追放)の発端とされる間宮林蔵の子孫、間宮恂は、私と50年来の友人という縁がある。
 また、4月中旬テレビ朝日のアナウンサーだった川松真一朗とスカイツリーの近くの事務所で会議中にシーボルトの名を耳に。川松のスタッフにシーボルトの子孫、関口忠志がいたのだ。翌日、資料をもとに話を聞いた。国外追放30年後に長男アレクサンダーと再来日し、一時帰国後病没。アレクサンダーは弟のハインリッヒと共に再来日。ハインリッヒの娘が関口の祖母とのこと。ハインリッヒは小シーボルトと呼ばれ日本の「考古学の祖」とされる。
 シーボルト父子3人による足跡は、医学・政治・外交・民俗学など多岐にわたり、近代日本の恩人。この出会いを報告しながら、ヴュルツブルク公演の意義を事務局長の野原に伝えると、向島(押上2丁目)の正圓寺(天台宗梅岡純義大僧正)を訪ねることを勧められた。
 川松と一緒に正圓寺へ。そこには、シーボルトが持ち出したという江戸の地図(ドイツで石版に作り直したもの)があった。
 伝統から創造への命題は、人との繋がりを含め多様な広がりを見せる。これは、先人達の礎の後に新たな展開が可能になることを示しているように思う。
 公演を終わり、渡独中同室だった設営・写真担当の萬本浩也・矢野陽一と「見える舞台を支える見えない存在の重要性」などを語った。在外公館や旅行会社などとの交渉、カルネの手続き、渡航者の健康管理まで担当した長瀬さとみ。文化交流を始め多くのイベントは縁の下の力に依存する。
 文化を含め国際交流に必須なのは異国語の理解。獨協大学は、世界に向けて人材育成を目指してきた。
 大学院に在学中、憲法特講で清宮四郎教授(戦後の憲法学界をリード)から「ケルゼン(ドイツの法学者)でも読みましょうか」と言われた。さりげない問いかけだが、ドイツと日本の法体系の深いかかわりあいを再認識する言葉として思い出に残る。
 (創造する伝統ドイツ公演スタッフ・児玉一=文中敬称略)

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