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旧草加小設計の大川勇企画展・8月21日まで資料館で開催

2011.6.14(草加市)
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 草加を拠点に埼玉県下初の鉄筋校舎・旧草加小学校西校舎(現在、市立歴史民俗資料館、国選択有形登録文化財)をはじめ、県内外の多くの木造校舎などを大正から戦前にかけて設計した、建築設計士・大川勇の足跡を振り返る特別企画展が8月21日まで、草加市立歴史民俗資料館で開催中。昨春、群馬県みどり市教育委員会で発見された80年前の旧花輪小学校の青焼き設計図をはじめ、大川勇が手がけた各地の校舎写真、愛用の製図・事務用品など72点を遺族の協力で公開している。

 長年、全国の現存する木造校舎を調査する中で大川勇の業績を調査研究してきた、元教員で産業考古学会会員の中島清治さん(63)が企画立案した。2年ほど前に、その業績を紹介する企画展を開催したが、今回、群馬県旧東村立花輪小学校校舎(1936年=昭和11=竣工、国指定登録文化財、現在は記念館)の設計が大川勇であることを決定付ける青焼き設計図が発見されたため、同資料をメーンに構成した。
 旧花輪小学校は木造2階建てで切妻造り、フランス瓦葺き、下見板張りの建築で、北面片廊下とし正面中央に玄関ポーチを突出させた形。昇降口部の窓や腰折れ屋根窓などに造形的特色がある。設計者は、これまで大川勇の師匠である早稲田大学建築科教授などを務めた伊東忠太とされ、説明板やパンフレットにも記載されていた。校舎建設費を寄付した、花輪小卒業生で鉄鋼王と呼ばれた今泉嘉一郎が伊東とは、旧帝大の同期であり校舎脇の今泉の胸像デザインが伊東であったことが、設計者が誤解され伝わっていたようだ。
 中島さんが、各地で設計した校舎の特徴と勇の長男、光英氏(故人)から託されていた資料を基に20年ほど前から、みどり市教育委員会に何度も通い、大川勇の設計であることを訴えて続けてきた。昨春、同教育委員会から青焼き発見の知らせがあり、中島さんが確認したところ、ダンボール箱の中に青焼き8枚があり、「昭和6年3月 大川建築事務所」と記載されていた。新築仕様書も一緒に見つかり、使われた資材の内容もこれで明らかとなった。青焼きの製作は、日本写真会(現在の資生堂)となっていた。
 中島さんは「80年前の青焼きが見つかったことは奇跡。大川勇の設計思想が伝わってくる見事な設計図で、貴重な資料。解明されていない部分もあるが、今泉に頼まれた伊東がゴシック様式を受け継ぐ一番の優等生であった大川勇に信頼してまかせたと推測される。立派な仕事を残した草加の人物を多くの人に知ってもらえれば」と話している。
 7月3日午後1時30分から、講演「建築設計士大川勇と校舎」(講師は草加市文化財保護審議会委員・一級建築士の堀内仁之氏)のほか、旧花輪小学校などを訪ねるバスで行く歴史講座(8月21日予定)も実施される。
 <問い合わせ>歴史民俗資料館TEL922・0402。月曜日休館。


 大川 勇氏(おおかわ・いさむ、1891〜1963) 草加町(現草加市)の中大川家の二男として生まれ、草加小学校、粕壁中学校を経て早稲田大学建築科卒業。1924年(大正13)、岐阜県庁新築設計(現場監督官)に携わる。26年(大正15)9月、設計した県下初の鉄筋校舎・草加町立草加小学校が竣工。29年(昭和4)、草加町住吉に建築設計事務所を開設。手がけた建築物は、八潮潮止小、越谷増林小(1930年)、群馬県東村花輪小(31年、国登録有形文化財)、秩父横瀬小(32年、現役校舎)など校舎58棟、事務所、庁舎含め合計140棟。73年(昭和43)、72歳で逝去。
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