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ブランデンブルク門に魅了・<伝統から創造へ>

2011.4.4(草加市)
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 公演初日、ベルリンのRBB大ホールに雅楽のみやびた旋律が流れる。魂をゆさぶるような声明が被せられ、あでやかな衣裳の舞人が舞う。
 深い緑の舞台、朱の欄干、異次元の音色、平安時代の装束と動きがかもし出す雰囲気。驚いたことに携帯電話のカメラのシャッター音が鳴る。ドイツの人々が観客マナーを忘れてしまうほどの衝撃だったのか?
 長い歳月を経た伝統的な芸術・文化・建造物の衝撃は、人種や国境を越えて感動の波紋を起す。
 1791年に完成したベルリンのブランデンブルク門(プロイセン王国の凱旋門)も幾多の戦禍を経て現存し、来訪者を魅了する。
 門上には勝利の女神が二輪戦車に乗ってベルリンへ向かう。幸せをもたらす象徴だと言う姿に時を越えた重厚さを実感。
 門前には、「ベルリンの壁」の痕跡が残されている。1989年11月9日に崩壊。翌年の10月3日にヨーロッパ最大の国ドイツが誕生した。
 近くにはシュプレー川が流れ、ドイツ連邦議会がある。川の向こう側に文豪・陸軍軍医総監、森鴎外の記念館がある。
 鴎外の4年間の留学はライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヘン。最終地のベルリンは1887年4月16日から翌年7月5日までの1年3ヵ月あまり。自伝小説とも言われている『舞姫』の素材を得たところとされる。
 ところで、鴎外は島根県津和野出身。曾祖父の次男が獨協学園の創立者である西周だ。親戚関係にあることから10歳で上京し、ドイツ語を学ぶために寄食していたことが伝えられている。
 鴎外の父(静雄)は南足立郡医となり、1879年6月に足立区千住に橘井堂(きっせいどう)医院を開業。鴎外は東大卒業後の8年間(4年間は留学)ここに居住。北千住駅西口から徒歩5分ほどの都税事務所前には記念碑が建立されている。
 鴎外の本名は林太郎。隅田川の白髭橋近くに「鴎の渡し」があり、その渡しの外側の地域が千住。つまり千住に住んでいたことから鴎外と号す。
 また、鴎外の文章が公に発表されたのは、1881年9月17日の読売新聞「河津全線君に質す」と言う寄稿文だ。
 ドイツでの鴎外に思いを寄せながら、伝統文化紹介の海外公演「舞姫」ならぬ「舞楽」も感嘆の拍手の中で初日を終了した。
 (創造する伝統ドイツ公演スタッフ・児玉一=文中敬称略)

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