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蚕2000匹を飼育・高野さん「日本の絹守りたい」

2017.8.1(三郷市)
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 育てた蚕から、美しい絹製品を―。そんな夢に挑戦する人がいる。三郷市早稲田の無職、高野直明さん(73)。若い頃からの“シルクロード”(中国と地中海を結ぶ歴史的交易路)への憧れが高じ、会社勤めの合間を縫い、20年をかけて、徒歩やラクダ、自転車に乗って陸路を踏破した高野さん。道中で目にした絹製品や養蚕に魅了されたあげく、ひょんなことをきっかけに今、自宅で約2000匹の蚕を飼う。環境の激変で、蚕の餌の新鮮な桑の葉の入手に四苦八苦しながら、「どんな繊維よりも肌触りや温かさで優る絹製品を、いつか自分の手で」と遠大なプランの成就に向けた歩みを続けている。

 高野さんは、エネルギー関係の会社に勤めていた1991年から、会社を定年退職(2003年12月)した後の2012年にかけて、高校時代から憧れたシルクロードを踏破したほどのシルクロードファン。7年前、群馬県富岡市の世界文化遺産「冨岡製糸場」を訪れた高野さんは、たまたま記念品に「生繭」をもらった。

 机の引き出しに入れたまま放っておいたところ、いつの間にか蚕になっていた。せっかくだからと、妻(63)を説得し、菓子箱に入れて6畳間で飼育を始めた。素人の手探りだったが、数百匹の蚕は、数年で約2000匹に増えた。「こんなに増えるとは」と驚く高野さんを尻目に、蚕は脱皮を繰り返し、5齢(約7a)にまで成長した。

 「まぶし」と呼ばれる繭棚や、繭から糸を引く「座繰」など、道具はかつての養蚕農家から譲り受けた。蚕は1日、約30`の桑の葉を消費する。蚕は農薬に弱いため、新鮮な桑を求めて河川敷を歩き、自生する桑を探したり、知人から譲ってもらうなど、餌の確保が最大の難関という。

 1929(昭和4)年頃から35(同10)年頃までは、三郷市や吉川市でも養蚕が行われていたが、次第に新鮮な桑の葉の確保が出来なくなり、養蚕は廃れたのではないか、と高野さんはみている。

 自分で育てた蚕から絹製品を生み出そうと、高野さんは試行錯誤を続けているが、「自分で糸を紡ぎ、織ろうとしても、糸が細く、手では均一の厚さに織れない」と現段階ではまだまだ課題が多い。

 今、ザクロやビワなどの天然素材が染料の“草木染め”にも取り組んでいる高野さんの夢は、「何とか美しいスカーフを作ること」。「少量でもいい。蚕から絹製品まで一貫して作ってみたい。それが日本の絹を守り、伝統文化を次の世代に伝えることになる」と熱く語る。
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