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「第二の故郷」で踏ん張る・只野友紀さん

2016. 4.4(三郷市)
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 只野 友紀さん(35)(主婦、被災し宮城県から三郷市へ)

   「地球が壊れたのかなと思うぐらい怖かった」。あの日、3世代家族9人で暮らす宮城県登米市の自宅から約10`の大型スーパー駐車場で、車に乗っている時に震災に遭遇した。「電柱や道路は波打ち、車は急ブレーキをかけたような衝撃を受けて何度も揺れました」。  幸い家族は全員無事だったが、家の中は家具などがめちゃくちゃに散乱し、塀も倒壊していた。水道や電気も止まったため、「3日間、9人が2台のワゴン車の中で過ごさなければならず、隣近所で食べ物を分けあい助け合いました」と振り返る。

 つらかったのは、同県南三陸町の小中学校以来の親友の女性が2歳の子を残して津波にのまれてしまったこと。「今も思い出すたび涙が止まらない」。
 そんな悲しみにお構いなしにやって来たのが、「これからどう暮らしていけばよいか」という現実。もっとも苦しかったのが、生活費の工面だった。夫(41)が勤務する自動車関連会社は、取引先が津波で流されてしまったため、業績が急激に悪化し、給料は大幅カット。「しばらくは貯金を取り崩し生活していましたが、住宅ローンもあと数十年残り、頭を抱えました」。
 夫はハローワークで仕事を探したが、東北では見つからず、ようやく八潮市内の地盤改良会社に採用された。震災から約半年後、義父母らを残して、夫と中1(13)、小6(12)、小4(10)の3人の子の一家5人で、三郷市戸ヶ崎のアパートに移住した。

 「初めての土地で不安でしたが、同じアパートの人たちがいろいろと面倒を見てくれて助かりました」という。今も家族同様の付き合いが続いている。夫の同僚の人たちも家具などを提供してくれ、市は水道料金の全額免除や学用品支給で支援している。
  地域の結びつきの強い故郷に比べ、「都会はご近所づきあいがないイメージ」だったが、「今は、とても親切にしてもらって助かりました。どこにいても、ふだんのお付き合い、支え合いが大事だと実感しています」。  登米市に帰れるその日まで、「第2の故郷の三郷で踏ん張る」と5年目を迎えて決意を新たにしている。
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