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吉田苞竹(書家)の作品発見・土屋さん宅で、書道教育の先駆者

2020.9.7(越谷市)
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 大正末期から昭和初期にかけて活躍した書家・吉田苞竹(ルビ・ほうちく)(本名・茂松、1890―1940年)の書が、越谷市大泊の無職、土屋徹さん(66)宅で見つかった。山形県出身の苞竹は、書道研究や書道教育の先駆者として知られ、近代書道の礎を築いたとされる。見つかった書は、横長の和紙(縦約50a、横約150a)に「楽分」と書かれ、額装されていた。越谷の民家にあった経緯などは不明だが、苞竹が創設した公益財団法人「書壇院」(本部・東京都港区)は、「越谷で講演した際に残したものではないか。いずれにしてもきわめて貴重な作品」と驚いている。

 書が見つかったのは、土屋さん宅の物置。「昭和50年代に友人から譲り受けた。新聞紙に包んで保存してあり、書とは気づかなかった。8月初め、物置の整理中に書と気づいた」と土屋さん。インターネットなどで調べると、「行草体」と呼ばれる書体で、「楽分」と書かれていた。左側に「苞竹書」とあり、「吉田茂松」と「苞竹」の落款(ルビ・らっかん)もあった。

「楽分」は、「おのれの力量(分)をわきまえて楽しむ」という意味とか。

 土屋さんの発見を聞いた、友人で書道経験のある同市内の桐工芸作家、菊地久夫さん(76)は、「苞竹は、近代書道の礎を築いた日本を代表する書家。山形県鶴岡市出身で鶴岡の偉人の一人」と話し、自身も鶴岡市出身だけに「越谷で郷土の偉人の作品に出会うとは」と感激している。

 苞竹は1890年、旧鶴岡町(現在の鶴岡市)生まれ。鶴岡の書家の門に入り、書道と漢籍を学ぶ。1919年に上京し、書道研究会(現在の『書壇院』)を創設。書道の普及に努める一方、収集した書の資料を「碑帖大観」(ルビ・ひじょうたいかん)」全50冊にまとめて刊行し、書道界での地位を不動のものにしたとされる。

 発見の連絡を受けた「書壇院」の水野潔・理事長(●)は、「書体や落款などから、苞竹の作品に間違いない」とし、「85年以上も前に書かれた貴重なもの。苞竹は戦前、越谷で書道講演会を開いたと聞いており、その際に書かれたものではないか」とみて、現在、記録が残っていないか確認している。

 土屋さんは「日本書壇を代表する貴重な書家の作品とわかったので、後世に広く伝えるため、作品を書壇院に寄付したい」と話しており、苞竹と越谷との詳細な関係が今後明らかになることに期待している。 ,br>
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