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旧家で平田篤胤の資料発見・本居宣長の肖像画、書簡など

2020.3.2(越谷市)
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 越谷市越ヶ谷の旧家から、このほど、江戸時代後期の国学者、平田篤胤(ルビ・ひらたあつたね)が、本居宣長(ルビ・もとおりのりなが)の肖像を描いた珍しい掛け軸をはじめ、和歌の短冊、書簡など貴重な資料が見つかった。同市内の市民グループが確認したもの。油商人だった旧家は篤胤の信奉者で経済的に支援していたとみられ、見つかった資料の中には、篤胤の「借金証文」もあった。市民グループは「資料を整理、研究して、いずれ公開したい」としており、越谷の商人と名だたる国学者との交流を示す歴史資料として、注目を集めそうだ。

 資料が見つかったのは、無職、山ア達也さん(74)宅。江戸時代には「油長」の屋号で油商を営んだ旧家で、約150年前に建築された「内蔵」(住居に接続した蔵)は2014年、市内の住宅メーカーの手で、“曳家”方式で移動、リフォームされて、同市に寄贈された。

 内蔵にあった古文書などの資料類は、山アさん宅の倉庫に移管されてきた。市民団体「油長内蔵采井協議会」(若色欣爾会長)の研究グループ「油長資料研究同好会」の早川秀郎さん(81)、宮原泰介さん(74)、河内出さん(72)の3人は、山アさんの許可を得て昨夏から倉庫内を調査してきた。

 その結果、篤胤が江戸時代中・後期の国学者、本居宣長の肖像を描いた掛け軸をはじめ、和歌の短冊、書簡、金銭の受領書、茶器など10種類、約100点の資料が見つかった。いずれも蔵での保存がよく、虫食いなどがない、きれいな状態だった。

 中でも、山ア家13代目の山ア長右衛門篤利(ルビ・やまざきちょうえもんあつとし)が、篤胤が出版した際、本人に代わって、伊勢神宮の文庫に献納した時の「受領書」が残っており、「文政3年」の文字がはっきりわかる。ほかにも篤胤の「借金証文」もあり、篤胤と山ア家との深い関係が想像できる。

 早川さんは「篤胤と山ア家との関わりを示す貴重な資料。ほぼ完全な形で残っていることに驚いた。当時、山ア家は篤胤を支援する重要な人物だったのではないか」と推測している。

 篤胤は43歳の時に、山ア家の隣人で豆腐店の娘、里勢(当時27歳)を紹介され結婚している。「里勢は私の娘である」との書状(天保9年)が残り、山ア家は里勢を養女にして、篤胤に嫁がせたものと思われる。

 18代目当初の山ア達也さんは「保存状態が良いのは蔵のおかげ。皆さんの努力で資料が解読されて感謝している。先祖を知る貴重なもの」と話している。 

 早川さんらは「今後も専門家らを交えて、調査、研究を続け、いずれ市民に公開したい」と話している。

平田篤胤MN(ひらた ・あつたね1776年10月〜1843年11) 江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。出羽国久保田藩(現在の秋田県秋田市)出身。成人後、備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。「復古神道」(古道学)の大成者であり、荷田春満、賀茂真淵、本居宣長とともに国学四大人の中の一人として位置付けられている。
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