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越谷に永住決めた石上さん・東日本大震災から5年

2016.1.4(越谷市)
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 今年は、東日本大震災から5年目を迎える。復興への道のりはまだまだ遠く、東京電力第一原発の事故で福島県から県内に避難して来た人たちは、今も不自由な生活を強いられている。越谷市内にも224人の避難者がおり(昨年12月1日現在)、福島県からの避難者が184人と最も多い。同県浪江町から越谷市に避難し、避難生活を続けながら、県内の町民避難者を訪問している「浪江町復興支援員」の石上清さん(64)に、この5年を振り返ってもらった。

 「浪江町は避難指示が出されたままで、いつ戻れるか分からない。ふるさとはイノシシや野犬が住みつき、荒れ果てている。除染作業も終わらず、今後を見通せない」と石上さん。「家はあるのに帰れない」――。  あの日、石上さんは浪江町の幼稚園のバスの運転手として、園児を家庭に届けた後、幼稚園に戻ってから被災した。幸い園児は全員無事で、「あと、20分遅かったら津波に遭った」。その翌日に原発事故。同原発は自宅から約5`の所にあった。  妻と次女、三女と孫たちの計8人で、福島県内の避難所を転々とし、姉を頼って同年4月6日に越谷市に避難した。現在も同市東越谷のアパートに妻、寿美子さん(63)と暮らす。  越谷に避難してすぐに、市民と避難者でつくるグループ「一歩会」に入り、現在は「越谷避難者の会」と名前を変えて活動している。市が募集した「震災避難者支援補助員」となり、市内の避難者を訪ね、2年間で約150世帯を回った。一昨年から県の「浪江町復興支援員」となり、県内と一部都内の浪江町から避難している人を訪問している。

 「避難者のほとんどは帰るのを諦めている。東電からの補償費だけで暮らしており、先行きが見えない不安がある。国は平成29年度に避難解除を目指すというが現実味がない」と石上さん。帰還を諦めて、埼玉に自宅を購入した人も多いという。  石上さんも、越谷永住を決意し、昨年11月、市内に一戸建ての中古住宅を購入した。費用は補償費を充てた。今年春には転居し、孫たちと一緒に暮らす予定だ。石上さんは「越谷の人たちには本当に助けてもらった。これからは、地域の方ともっと交流して地域の一員となって暮らしていく」と前向きだ。

   「今、『避難者の会』として活動しているが、今年は避難者という名前を変えて、地域の方と楽しんでいける活動に方向転換していく」と話す。3年前から、趣味の「社交ダンス」を地元の自治会館で、妻と共に市民に指導している。「ストレスをためないで、健康で地域の方と交わっていく」  震災から5年。避難者たちはそれぞれ着実な歩みを始めている。
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