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木下半助商店が国の文化財に・「店舗」「土蔵」など4件が答申

2015.8.18(越谷市)
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越谷中町にある「木下半助商店店舗と土蔵、石蔵、主屋、稲荷社」の4件について、国の文化審議会(宮田亮平会長)は7月17日、登録有形文化財(建造物)にするよう文部科学大臣に答申した。登録されると、県内の建造物の同文化財は148件となる。越谷では初の建造物の国有形文化財となり、明治時代の建築を今に伝える貴重な建造物として、旧日光街道とともに観光としての活用が期待される。
 木下半助商店は、旧日光街道に面して店を構える商店。奥に細長い短冊状の敷地に、店舗、土蔵、石蔵、主屋、稲荷社など多くの近代建築が建てられている。店舗と土蔵は木造平屋建てと土蔵造り2階建てで、広さ約71平方b。明治時代後期の建造と伝えられる。石蔵は木造2階建て瓦ぶき。広さ32平方bで、1909年(明治42)に建てられた。
 木下家は、江戸時代以来、日光街道3番目の宿場である越ヶ谷宿で金物の商いをしていたが、1899年(明治32)の大火で被災し、明治時代後期以降、順次店舗の建てなおしと建て増しを行ってきた。「店舗」は、通りに接した正面には摺揚戸を残し、1階が帳場の雰囲気を残した店舗となっており、屋根裏は商品の置き場として使われていた。大火の後に建てられたと伝えられている。
 「土蔵」は、明治時代後期に建てられたと考えられ、外壁は2階妻面が銅板、それ以外は黒漆喰となっており、気品と重厚感をたたえている。屋根には本商店の印である「キ」の字が細工されている。
 「石蔵」は、大火の後、商品を火災から守るために建てられたと伝えられている。外壁に房州石を張り、石造風に見せるとともに、防火性も向上させている。2階の裏面の壁には、「明治四十弐年 拾弐月竣功」の墨書が見られる。
 「主屋」は、木下家に伝えられた記録から、1917年(大正6)頃の建築と考えられる。柱などの材木は高価なものが使用されているほか、細部の装飾にも意匠がこらされている。
 「稲荷社」は、屋敷神としては大きく立派なもので、主屋と同時期に建てられたと伝えられている。「一間社流造形式」で、随所に技巧的で表情豊かな彫刻が施されている。風雨から保護するための覆屋で覆われている。
 これらのことから、木下半助商店は、明治時代の越谷における商店の面影をよく伝えていることから、「国土の歴史的景観に寄与しているもの」に該当するとして、登録されることになった。建物を実測調査した1級建築士の田村公一さん(63)は「明治時代の越谷の商店の面影を残した貴重な建築物。装飾など細かな部分に手をかけてあって造りは繊細だ」と話す。
 所有者で同商店の木下信子さん(85)は「明治32年の大火の後に建てたので、防火性にこだわって造ったと伝え聞いています。2度の震災にも耐えた立派なものです。バブルの時も父親が建て替えずに頑張ったおかげ。貴重な建物を残すことができて文化財に登録されればうれしい」と笑顔で話していた。

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