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14か所の「富士塚」を発見・田部井さん、4bの高さのものも

2015.1.5(越谷市)
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 越谷市は江戸時代に「富士信仰」が盛んだった。越谷市千間台西の元小学校校長でNPO法人越谷市郷土研究会幹事・田部井久能さん(64)が初めて、越谷市内に残されている「富士塚」を調査したところ、14か所を発見した。富士山を模した「富士塚」は市内全域にあり、主に神社に土を盛った「築山」があるが、中には4bの巨大なものも。また、民家の敷地にあるものもあり「富士塚はこれまで調査されてこなかったため、新しい発見が多く面白い」と田部井さん。「富士信仰」には謎も多いが、越谷の新たな観光資源にもなりそうだ。

 日本を代表する山「富士山」は、信仰や芸術を通し古くから日本人の心に根を下ろしていることを評価され、昨年6月、世界文化遺産に登録された。現在では、老若男女が山開きとともに山頂を目指す姿が増えている。この富士山は、特に江戸時代、庶民の間で「富士信仰」が大きな広がりを見せた。しかし、庶民の中には病気などのため直接登れないことから、身近な場所に富士山を模した「山」をつくり参拝できるようにしたのが富士塚だ。
 富士塚の定義は諸説あるが@富士山を模した塚があるA塚の上に「仙元社」「浅間神社」を祀っているB塚に黒ボク石を使用している、のが富士塚だという。このことを視点に調査をした。
 田部井さんは現役の小学校教諭だったころから、歴史に興味を持ち、小学校通学区域内を歩き、文化財などを実際に訪ねて児童に社会科の授業で教えたり、社会科の「副読本」作りにも携わったこともある。退職してから先輩教員の勧めもあり、「越谷市郷土研究会」に入った。ふだん、身近な神社を訪ねて調べていたが、同会の宮川進会長から「越谷市内に富士塚はどのくらいあるのだろうか。調べてみたら面白いかも」の声に後押しされて、昨年7月から2か月かけて、市内を歩き20か所を訪ねて調べた。
 「新編武蔵風土記稿」(1804年から1829年に編さんされた武蔵国の地誌)によると、越谷市内には越ヶ谷、大沢、大竹、増林、平方の5か所に浅間社(仙元社)が祀られたと記録に残されている。このことから記録に残されているもの、残されていないものの2つに大別して調査した。
 記録にある「富士塚」は「中町の浅間神社」「大沢の浅間神社」「大竹の浅間神社」「増林の護郷神社」「平方の浅間神社」。それぞれ現地を訪ねて調べた。中でも平方のは高さ4bもの小高い丘に「浅間神社」が祀られていて、社殿への入り口は登山道のようになっており正面と左右にそれぞれあるのが特徴。正面右手には実際に富士山を登山した人の氏名が載っている「富士登山記念」の石碑もある。
 田部井さんは「おそらく平方の富士塚が市内で一番高いのではないか。いまでも大事に祀られており、富士山の山開き前の毎年6月30日には祭礼も開かれていて、その風習が残されている貴重なものです」と話す。このほか、市内の神社などを訪ねて「西新井の石神井神社」や「千疋の伊南理神社」「大道の香取神社」など9か所を発見した。
 中でもユニークなのは、恩間新田にある民家の敷地内の富士塚。家の敷地内に富士山を模した高さ約2bの塚があり、塚の周囲に24個の名所石と呼ばれる石が配置されている。田部井さんによると「この方の祖先は、冨士講のリーダーをしていたのではないか」と推測する。
 宮川会長は「富士塚は県内には300から400か所あるといわれている。東武地区では隣の春日部市で43か所が見つかっており、一番多い。埼玉県は当時、富士山が良く見える地域だったので、富士講が盛んだったのではないか」と話している。田部井さんは「今年は見つかった富士塚について、もっと掘り下げて調べてみたい」とさらに、意欲を見せている。

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