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戦時中の生活を学ぶ・北越谷小で文書館職員が指導

2013.12.23(越谷市)
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 越谷市立北越谷小学校(針谷重輝校長 児童数324人)で13日、埼玉県立文書館との連携による社会科の授業が行われ、6年生2クラス54人が「太平洋戦争中の埼玉県の人たちはどのような生活をしていたのか」を学んだ。
 文書館の職員である前田芳江さんと古澤健史さんは、同館が保存している戦時中の県内の写真や当時の資料などを次々とスクリーンに映し出し、一つ一つ説明をした。写真には体育の時間に木刀を振る児童たち、市街を行進する中学生、駅で出征兵士を見送る人たち、学徒動員で勤労する生徒、鉄や銅をとるため供出される銅像等、飛行場があったため1945年8月14日に県内で最大の空襲を受けた熊谷の様子などがあった。資料では国民精神総動員埼玉県本部が出した(飛行機を作るため)、贅沢を全廃せよと呼びかける七、七禁止令、大事業(戦争)のためには身をささげ力をつくすことが大事と教える初等科修身の教科書、太平洋戦争開戦の日である1941年12月8日に県が出した「県民に告ぐ」など。
 戦時中の学童疎開は埼玉県では行われず、逆に県内では都内からの学童を受け入れており、把握している限りでは1万人以上を受け入れていたという。
 軍事施設は県内にも多数あったが、北越谷小の付近には、荻島陸軍飛行場があった。この飛行場は現在の県立しらこばと水上公園の南側にあったが、1944年7月に工事が始まり終戦となる翌年に完成したため実戦には使用されなかったという。
 こうした県内の戦時中の様子を話した後、終戦を伝える玉音放送も流した。
 また、授業後、通常は館外への持ち出しが禁止されている江戸時代の辞典に相当する資料や戦時中の修身の教科書などを、児童は直接手に触れ、これらの中を見ることができた。
 授業を受けた、蔀(しとみ)春乃さん(12)は「埼玉に空襲があり、熊谷の被害が大きかったことや越谷に飛行場があったことも知らなかった。知らないことばかりでとても勉強になった」と、また、下舘麻以さん(12)は「夏休みに『少年H』を読んでおり、今日と同じような二宮金次郎の銅像供出の話があった。銅像を出すのがどういうことか、とてもよくわかって良かった」と話した。
 針谷校長は「こういう体験は児童にとても貴重なこと。6年生は1月にも埼玉地方法務局にお願いし、裁判員制度につて学習する予定です」と語った。

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