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現職と新人2人が立候補予定・27日投開票の越谷市長選挙

2013.10.14(越谷市)
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 任期満了に伴う越谷市長選挙は20日告示、27日に投開票される。同選挙には再選を目指す現職の高橋努氏(70)=無所属=、新人で市議の中村譲二氏(62)=同=、同じく新人で元県議の松沢邦翁氏(64)=同、自民推薦=の3人が出馬を表明(10月10日現在)しており、三つ巴の様相だ。同市の有権者数は26万6671人(男13万2819、女13万3852)=9月2日現在=。

 高橋 努氏(たかはし・つとむ) 越谷市長、東埼玉資源環境組合管理者。日大法学部卒。越谷市職員を経て、1975年4月に社会党市議として初当選。6期23年務める。1998年7月に県議補選で初当選。4期務める。2009年10月に市長に当選。埼玉県東南部都市連絡調整会議会長なども務める。家族は妻、長男夫婦、孫2人の6人家族。越谷市西新井322の4。越谷市出身。70歳。

 「市長就任後、安心度ナンバー1、市民が誇れる越谷を街づくりの基本理念として、市政運営に取り組んできた。子ども医療費支給範囲を入院、通院ともに中学校卒業まで拡大した。新たな4年間の重要政策は保健所開設をはじめとする市民サービスの拡充。県東南部地域のゆるぎない中核都市を築く」と再選を目指して出馬を表明した。
 まず、「2017年春に市立保健所を開設し、『中核市』への移行を目指す。来年はご当地ナンバー『越谷ナンバー』が導入され、特産品や観光事業に力を入れ、市民が誇れる越谷にする。特に観光は市が出資する農業公社を設立し、いちご観光農園の拡充などに取り組む」。
 元越谷市職員。定時制高校、大学2部に通学しながら勤務するなど苦学した。市役所企画課や計画課などに勤務し、人口急増時に区画整理を担当した。職員組合初代青年婦人部長を務めた後、市議に。市議6期の後、県議になり連続4期務めた後、2009年に市長選に出馬し、初当選した。
 1期目について「子ども医療費の拡充、成人夜間急患診療所の開設、市立病院8階病棟の再開、医師看護師の増員。農業技術センターを活用したいちご観光農園の開園など、計画していたことは、ほぼ達成できた」と評価。
 2期目は「さらなる子育て支援として、越谷駅東口に保育ステーションの開設をはじめ、病気の子を預かる医療型の病児保育所もオープンさせたい。教育環境の整備として、全小・中学校のトイレ洋式化と一般教室のエアコン設置を早急に進める」と熱いまなざしで語る。


 中村 譲二氏(なかむら・じょうじ) 市議。法政大学法学部卒。越谷市職員を経て、1999年5月に市議初当選。以来4期連続当選。現在、越谷市吹奏楽連盟理事長、越谷市赤十字奉仕団委員長、越谷市マンション連合会相談役、越谷市ビーチボール競技連盟顧問など務める。家族は妻、長男、二男の4人家族。越谷市赤山本町17の7。松伏町出身。62歳。

 「現在、市が計画している第3庁舎(仮称)の建設に反対する。来庁する市民の安全確保のために、耐震性の低い本庁舎の建替えを優先するべき。今の市政は政党や労働組合に縛られている。市民目線に立っていない。越谷市の民主党政権16年間は必要な公共施設の整備が遅れるなど市政の停滞をもたらした。停滞した越谷を元気で明るいまちにしたい」と出馬を表明した。
 まず、「20億円はかかるといわれる第3庁舎建設を白紙にし、その費用を本庁舎建替えの費用に回す。職員のためではなく、市民のための庁舎建設にする。文化施設が不足しているので、歴史資料館を建設し市の歴史文化の保存を推進する。また、地域産業支援を経営者と行政が連携するサポート体制づくりを推進したい」。
 民間企業を経験後、越谷市役所入庁。入庁と同時に大学2部に入学し、政治を勉強した。市役所では公民館や体育館、自治振興課など主に住民と直にふれあうセクションに配属された。1999年から市議4期連続務め、07年から1年間、議長に就任している。中学生のときから政治家を目指していたという。
 「越谷を元気で明るいまちに」がスローガン。「安全・安心を実感できる、ふるさと越谷を実現し、越谷を元気で明るいまちに変える。そのために子ども・女性・高齢者・障害者にも優しいまちづくりを推進する。軽スポーツのできる原っぱを作り、少子高齢化社会における健康と仲間づくりの環境を育む。ホームスタート事業を創設し、家庭訪問型子育て支援により親と子どもが共に育つ子育てを応援する」と抱負を述べている。


 松沢 邦翁氏(まつざわ・くにお) 元県議。農業。県立杉戸農業高校卒。東埼玉自動車教習所指導員を経て1987年5月から市議連続4期当選。2003年4月から連続3期、県議を務める。全国市議会議長副会長や自民党越谷支部長など要職を務めた。家族は妻、長女夫婦、孫の5人家族。越谷市七左町4の2。越谷市出身。64歳。

 「越谷市政が民主党政権になって16年。目玉事業だった越谷レイクタウンも民主・板川市政で規模が縮小され、調節池の機能も中途半端なものになった。そして、東埼玉道路はいまだに国道4号バイパスに接続していない。活気ある越谷を作っていかなければという想いと、国政が自民党政権になったので、戦わずして白旗はあげられない。越谷市政を保守政権を奪回したい」と出馬を決意した。
 自動車教習所勤務の後、1987年から越谷市議を4期務めた後、2003年4月から県議を務めている。農家でもあり、主に米を作っている。
 市議4期、県議3期の経験から「まず、市民の命を守る事業を推進する。高齢者医療、周産期医療、小児救急医療に取り組む医療機関を積極的に支援し、1次から3次までの救急医療機関の連携を図り、『医療のまち・越谷』をつくる」。そして高齢化社会を迎え「自宅から最寄り駅まで、新たにコミュニティバスなどの交通網を整備し、移動が制約される人を少なくする」。
 さらに「新越谷駅周辺を国の地方都市リノベーション事業を活用し、再開発する。駅周辺の土地の用途を規制緩和し、サンシティホールを建て替え、社会福祉施設、図書館に子育て支援施設を併設する。外環道、4号バイパスのアクセスの良い東埼玉道路周辺に、工業団地を造成し、企業誘致を行い、税収や雇用の増大を図っていく。中高一貫校など『教育特区』づくりで高水準の教育環境も目指したい」などと決意は固い。

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