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大野家の慶喜の短冊本物だった・23日から春日部市郷土資料館で展示

2013.7.23(越谷市)
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 越谷市宮本町の楽器店経営、大野光政さん(73)が2010年暮れに、自宅の蔵で徳川慶喜の宿泊記録と慶喜が書いたとされる短冊を見つけた。これらの物がきょう23日から、春日部市郷土資料館で開かれる「最後の将軍がみた春日部〜野鳥と御鷹場・御猟場〜」展に展示されることになった。大野さんによると短冊はこれまで慶喜直筆のものかは不明だったが、同展を主催する春日部市教育委員会文化財保護課が慶喜本人が記録した「徳川慶喜邸日誌」などで確認、鑑定したところ直筆の本物であることが分かり、今回初めて展示されることになった。同じ時期に粕壁町(現在の春日部市)の山田半六邸にも宿泊していたことが分かり、これらに関する資料が展示される。今年は慶喜没後100周年の記念の年で、県東部地区に慶喜が訪れていたことを明らかにする貴重な資料となる。

 大野さん宅で見つかったのは、宿泊記録の芳名録と「お礼状」、そして慶喜と署名入りの短冊。越谷周辺は当時、江戸川筋御猟場といわれ、庶民は禁猟区であった。大野さんによると、曽祖父の大野伊右衛門さんが芳名録を記録したという。
 その記録によると、徳川慶喜とその家臣2人が明治33年6月5、8日に宿泊している。「鷹狩り」は5日から9日までの5日間、越谷周辺で行われたとされ、宮内省関係者6人も加わり、バンという鳥を捕りにきたという。
 徳川慶喜は、宿泊の謝礼として、大野家に茶料として15円を。使用人に対しても合計5円を与えている。宿泊礼状は東京巣鴨の徳川別邸から明治34年4月15日に、送られている。一緒に直筆の短冊が贈られた。短冊には「花」と大きく書かれ、その下に「もろこしの 人にとははや 昔より たえて花なき 春の心を 慶喜」と短歌が書かれている。
 6月6、7日には粕壁町の山田半六邸に宿泊した記録が残っており、山田家にも短冊が贈られた。慶喜は当時、狩猟のため、埼玉県東部を訪問した。記録によると宮内省の鷹匠が同行し、県東部の低湿地でバンという鳥を獲っていた。6月12日には慶喜が朝食にバンの味噌漬けを食べた記録もあり、越谷か春日部で獲ったバンかもしれない。
 大野さんによると、当時の大野家は「材木屋」を営み、近くの元荒川に舟を浮かべて材木を運んでいたという。 「旅館でもない、うちになぜ宿泊したのかは分からない」と大野さん。芳名録によると、明治から大正にかけて、皇族が宿泊している記録もあり、 大野さんは「これまで、徳川慶喜が越谷に来たという言い伝えはあったが、これら短冊などが本物と分かり、越谷に新しい歴史事実が分かったと思う。これらの資料はできれば今後、越谷市内に郷土資料館などを建設して、展示してほしい」と話していた。
 日光街道の宿場だった越谷市。慶喜が越谷まで鷹狩りに来ていた事実がはっきりしたことは新しい発見。このほか、春日部市周辺の猟場に関する資料なども展示する。なお、同展示は9月8日まで開催される。入場無料。
 <問い合わせ>春日部市郷土資料館(春日部市粕壁東3の2の15)TL048・763・2455。

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