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三ノ宮卯之助銘の力石を市文化財に・市内に奉納された6個

2013.5.6(越谷市)
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 越谷市教育委員会は、郷土の貴重な歴史的文化遺産を後世に伝え残そうと、市内にある「三ノ宮卯之助」の銘が刻まれた力石計6個(3か所)を新たに越谷市指定文化財(有形文化財・歴史資料)に指定した。卯之助は今から200年以上前の江戸時代の1807年(文化4年)に現在の越谷市三野宮に生まれ、日本一の力持ちとして、1848年(嘉永元年)に東方の大関に昇進し、全国で活躍した。
 今回文化財に指定された力石は久伊豆神社(越ヶ谷)にある187`のもの、三野宮香取神社(三野宮)にある200`、520`、170`、110`のもの4個と卯之助の生家の向佐家(三野宮)にある100`のものの計6個。石は安山岩と見られ、それぞれ石には「奉納」「三ノ宮卯之助」と刻まれているほか、「大磐石」や「白龍石」「三王石」など名前も刻まれている。市教委では、それぞれの場所に案内板を設置して、文化財の説明をする。なお、今回の指定で越谷市内の文化財は国1件、県7軒、市64件の計72件の文化財になった。
 力石とは江戸時代、労働者の間に発生した力比べや体力を養うために用いられた石のことで、神社の祭礼や寺社の奉納、力持ちの興業など、相撲と同様、庶民の娯楽として親しまれていた。重たい石を持ち上げる人を「力持ち」あるいは相撲に真似て「力士」とも呼ばれていた。力石は現在、越谷市内に卯之助のを含めて約140個、県内には約2400個確認されている。
 卯之助は幼少のころは村で行われた相撲大会や力持ち大会で勝つことがないほど体が弱く、あまりの悔しさに、毎日、人目につかないよう、夜遅くまで体を鍛錬し、青年期ごろには村一番の力持ちにまで成長したと伝えられている。力をつけた卯之助は日本各地で力石を使った力比べや見世物興業の巡業を行い、その足跡が分かる資料として、「三ノ宮卯之助」の銘の入った力石が越谷をはじめ、県内の市町村、神奈川県や山梨県から大阪府、兵庫県などで確認されており、地域の神社や寺に奉納されている。さらに力比べでも、相撲と同様に「小結」「関脇」「大関」などの番付があり、卯之助は1848年に「大関」に昇進し、当時、「日本一の力持ち」と言われていた。
 越谷市教委生涯学習課では「卯之助の力石は、今では失われてしまった力持ちという風習や、力持ち興業、力石奉納といった風俗慣習を理解できる民俗学的に貴重な資料。東の大関として全国に名を馳せた卯之助という越谷出身の力持ちが存在し、全国に存在する卯之助銘の力石や関連資料の豊富さから、ほかの力持ちとは一線を画すもの」としている。
 同力石は学術上価値の高い資料といえるもので、越谷市にとって貴重な歴史的文化遺産だ。

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