トップニュース

「増林に縄文人が生活していた」・山本さん自費出版、古代史に一石

2012.5.21(越谷市)
ニュース写真
 今から約5000年前の縄文時代中期に、越谷市増林に人が生活していた。同市増林の自営業・山本泰秀さん(69)が、自ら同地区の土器などを拾い集め、調査・研究し専門家の鑑定を受けたものをまとめた歴史資料「増林の古代から現代に至る足跡」(A4版、90n)を自費出版した。山本さんによると1994年8月に古利根川に近い、畑で市内ではまだ発見されていない縄文土器を表面採集(穴を掘らずに表面にある遺物を採集すること)した。埼玉県埋蔵文化財調査事業団の鑑定を受け、縄文時代中期のものであると判明した。これをきっかけに、現在まで18年にわたり、地元の増林地区をくまなく回り、土器採集などを行い、独自に調査してきた。報告書の寄贈を受けた越谷市教委では「非常に興味深い資料。機会を見て調査したい」と関心を示している。これまで、越谷の歴史の始まりは6〜7世紀の古墳時代から飛鳥朝期の見田方(現大成町)からとされており、市史を塗り替える可能性もある。

 山本さんは越谷市増林生まれで、増林小学校前で種苗店を営んでいる。1994年7月に、お客さんから「増林から縄文土器が出たんだよ」という話を聞かされ、それまで歴史に興味はなかったが、何度も話を聞かされているうち「本当かな」と素朴な疑問を持ち、自分で調べ始めた。越谷には郷土資料館がなかったため、近隣の八潮市の郷土資料館を訪れたところ、「中川低地遺跡確認調査報告書」という資料を見つけた。
 同報告書は1979年に当時の草加、八潮市史編さん室が市史の基本資料作りのため、「草加・八潮遺跡確認調査団」を結成し、中川流域を調査。県東部を流れる中川、古利根川、元荒川など5河川の自然堤防を丹念に歩き、表面に出ている土器片などを集め、合計134地点で土器片を採集。草加市新里町など38地点が「遺跡地」と確認できた。それまで、わずかに見つかっている中川低地の遺跡は古墳時代の越谷市の見田方遺跡が最も古いとされていた。この調査で古利根川沿岸の越谷市増林で縄文土器片が見つかったことを知った。
 この報告書を見て、山本さんは「調査報告書があったのに、なぜ越谷市は縄文土器の調査を行わないのか。市がやらないのなら、自分で調べてみよう」と独自調査を始めることにした。まず、縄文土器が見つかったとされる近くの畑の地権者の了解を取り、1994年8月に表面採集を始めた。3年かけて、集められた土器片はバケツ3杯分にもなり、そのうち、縄文土器片は3つあった。専門的な知識のない山本さんは鑑定を埼玉県埋蔵文化財調査事業団に依頼。紀元前5000年の縄文時代中期のものと判明した。
 専門家の鑑定を受けて「自分が採集した土器の破片が縄文時代のものだったとは、大変驚き、そしてうれしかった」と山本さんは振り返り、それから増林地区の表面採集に夢中になった。地区内の農地から弥生時代の土器片は100個以上、飛鳥、平安時代に至っては数百点見つかり、すべて同事業団の鑑定を受けた。山本さんは「足掛け18年に及ぶ長期に渡る調査を、それぞれ記録してきた。今回の自費出版は、その集大成。長年書き続けてきた増林の歴史を一冊にまとめることができてうれしい。増林は越谷の一部ですが、越谷市全体の歴史にも大いにかかわりがあると思う」と感想を話していた。
 採集した土器の破片はすべて自宅に保存してある。「越谷市は早く、郷土資料館を建設して、資料展示してほしい。要望があれば、すべて寄贈する」と山本さん。一人でも多くの市民に越谷の歴史に興味を持ってもらうことを願っている。
 報告書を受けた越谷市教委教育総務部の兎原雄太学芸員は「山本さんの調査は長年地道に歩いた、増林地区の貴重な資料」と脱帽。同総務部の斎藤美子副参事は「大変興味を持った。ただ、試掘などの調査に入るには地権者の了解など様々な手続きが必要で、すぐにはできない。予算や人手もいる調査なので、いずれ調査できるようにしたい」としている。
 なお、山本さんの報告書は希望者に1冊1000円で分ける。問い合わせは山本さん(TL966・5105)まで。増林の古代史は行政による試掘など本格調査が待たれる。

>戻る