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被災者、津波の恐怖話す・「明日へのステップのために」

2012.3.19(越谷市)
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 東日本大震災から1年を迎えた11日、「明日へのステップのために」と題した東日本大震災から防災を考える市民フォーラムが同市中央市民会館で開催された。フォーラムには市民や避難者など236人(うち避難者49人)が参加した。主催は越谷市と同市社会福祉協議会。
 フォーラムは、大震災当日に被災地では何が起きたか、震災後に越谷市民が行ったボランティア活動などは、越谷に避難している人の声はについて、体験報告と避難者の声の2部に分け行われた。震災が発生した午後2時46分にはフォーラムを中断し、参加者全員が犠牲者の冥福を祈り1分間の黙とうをささげた。
 フォーラムに先立ち高橋努越谷市長が「避難者が一刻も早く元の地に戻れることを期待している。避難者の意見、要望に最大限応えられるよう対応したい」とあいさつした。
 第1部では被災者、ボランティア活動者など5人が体験報告をした。
 南相馬市の新開仁子さん(54)は、地震では倒壊しなかった家が津波で流されたこと、近所の人が津波で亡くなったこと、友人の息子がいまだ安否が確認できないこと、引き続いて起きた原発事故で避難所を転々としたことなど当時の切迫した体験を語った。新開さんは、単身赴任先の越谷市から12日に駆けつけて来ていた夫と共に、家族で18日に越谷市に避難してきた。「南相馬の家は原発の危険区域の中であり、再建し戻ることはできない。失ったものは大きいが家族全員無事であり、新たな出会いや結びつきを得た。これらを大切にしていきたい」と結んだ。
 ボランティア活動などでは、市民からの救援物資の受け入れ、仕分け、配送などを行ったボランティア連絡会の岡本真代会長(71)、岩手県陸前高田市でがれき撤去や草刈りをした埼玉県立大学4年の松井知香枝さん(22)、岩手県大船渡市と陸前高田市で心のケアやトンカツの炊き出しなどを病院を挙げて行った医療法人秀峰会(北辰病院)の中村吉伸理事長、市から大船渡市に災害弔慰金などの支給事務に応援派遣された越谷市の職員である吉原慎哉さん(31)がそれぞれの体験を報告した。
 中村理事長は体験を通し、自治体は全体の大方針を立てる、行政の為ではなく被災者の為のボランティアを意識する、弱者を一次災害から守るだけでなく二次災害(避難生活など)からも守るなどを提案した。

 2部の避難者の声では、一歩会会員の久野ミヨ子さん、末永陽日里(ひかり)さん、森田茂賀(しげよし)さん、渡邉久子さん、石上清さんの原発事故での避難者5人が越谷市での暮らしを語った。避難者の声の発表前に、一歩会の新妻敏夫会長(62)は「まだまだ温かい支援を必要としている人がいる。今後とも支援をお願いします」と市民に呼び掛けた。
 いわき市から避難した久野さんは、昨年の今日のことを思うと身の毛もよだつと話し出す。知人、友人が5人津波に流された。先の見えない不安に押しつぶされそうになった。しかし、自分は生かされた。活かされたこの環境で生きていこうと決意した。介護の仕事の傍ら、自分の趣味である絵画、短歌などのサークル、またボランティアサークルに入っていると、現在の状況を語った。
 浪江町から避難した南越谷小5年の末永さんは、震災で怖い思いをしたが、良いこととして越谷と福島に61人のクラスメイトが出来たという。また夏休みの宿題で、元の幾世橋(きよはし)小の友達を思い浮かべて描いた絵が賞を取り、南越谷地区コミュニティ推進協議会防犯部会のポスターとなって市内に貼られたことや理科展の自由研究で学校代表に選ばれた喜びなどを話した。
 双葉町から避難した森田さんは、耐力(耐える力)と演じる力について、時折声を詰まらせながら語り、一人はみんなの為に、みんなは一人の為に支えると結んだ。
 浪江町から避難した渡邉さんは「このまま越谷の住民にもなれず明日がわからない。しかし避難しなければ、越谷でこれほど多くのすばらしい人に巡り会うことはなかった。越谷の皆さんに何もお返しができないが、これからもがんばっていく」と一言一言噛みしめるように話した。
 浪江町から避難した石上さんは、避難所を7か所も巡り、越谷に来たときには涙が出たという。一歩会に入り、避難者だが避難者の手伝いをし、これが前向きの生き方に変えてくれた。ただ孫に「浪江にいつ戻れるの」と尋ねられることが一番つらいと話した。
 最後に参加者全員で一歩会の歌「あすへの一歩」を合唱した。

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