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避難所一泊体験を実施・誰もがくらしやすい委員会

2012.1.1(越谷市)
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 越谷市の「誰もがくらしやすいまちづくり実行委員会」と「避難所1泊体験実行委員会」(ともに樋上秀代表)の事務局長として障害者や高齢者の地域参加を呼び掛ける同市在住の西陰勲さん(68)。30年以上前、障害をもった小学生男子との出会い以来、障害者支援に携わっている。定年退職した03年、市内のバリアフリーはどのくらい進んでいるのかをチェックするシンポジウムの担当を務めたのがきっかけで、「誰もがくらしやすいまちづくり実行委員会」を立ち上げ、事務局長として活動を続けている。
 1995年の阪神淡路大震災で、障害者は避難所での生活ができにくいことが露見した。まず一番はトイレ問題だった。「避難所とは何なのだろう」。車イスを使用する樋上代表とともに「誰もが…委員会」で話題になっていた。09年の協働フェスタで防災をテーマにしたシンポジウムで、やはり障害者の人たちも参加できる避難所体験は必要とのことから「避難体験をやってみよう」との結論に達した。
 09年と11年の8月、東京湾北部直下型地震(震度6強)が発生し、ライフラインが全てストップした被災第1日目の避難所生活を想定した1泊体験を行った。場所は市内13地区のうちで唯一、「災害時要援護者登録」を行っているモデル地区である東越谷地区を選んだ。
 第1回目は城ノ上小学校で実施。140人が参加、うち障害者・高齢者は43人だった。参加者たちは小学校から2`離れた東越谷第二公園にある防災備蓄倉庫まで歩き、リヤカーで水や発電機などを運んだ。
 問題にぶつかったら現場で解決してすすんでいく。情報が不足する聴覚障害者にはホワイトボードや壁紙で情報を提供した。壁に沿って歩く視覚障害者のために壁際に荷物は置かなかった。西陰さんは「みんなが一緒に作業し協力しあうことにより絆が生まれ、仲間になる。地域力はその中から生まれてくるものだ」と感じた。


 第2回目は中央中学校で実施。一部自治体の協力も得られた。参加者はほぼ同数の143人。うち障害者は24人だった。「学校長として避難所を体で覚えることが必要だ」と佐藤忠弘校長も参加した。今回はトイレ問題に重点をおき、水洗トイレはプールの水を汲んだもので流した。また、市の協力を得てマンホールトイレを設置。マンホールトイレは公共施設など下水道の出発点箇所に設置されるもので、ふたを取って便座をつくり直接下水道に落とす仕組みだ。健常者にとっては普通のトイレと変わらなかったが、車椅子使用者にとっては木の根や枝が行く手を遮った。
 「防災は地域力」と断言する西陰さんは防災のあり方についても問う。市では自治会の自主防災を原則としているが、役員の高齢化に伴い無理も生じている現状を見て、「地域防災委員会」を提案する。自治会をはじめ民生委員や地域で動ける組織が地域防災活動をするというものだ。また、障害者や高齢者も積極的に地域自治会の防災訓練に参加し身を呈して「自らの存在をアピール」していくことが重要だという。
 「誰もが…委員会」の活動も進行している。市内で改善点が必要な箇所は提言を行い広範囲にわたって改善されてきた。だが「まちがバリアフリー化されると心のバリアフリーが失われる」と西陰さんはいう。「次がノンステップバスだから」とノンステップ未使用バスが乗車を拒否する。道行く人もバリアフリーだからと身障者を気遣うことが無くなった。「(身障者が)不便でいた方が理解が強かった」と振り返る。また、車椅子やベビーカーのために道路と車道の境を無くすと視覚障害者が境界判断材料が失うなど難しい問題もある。「すべてがバリアフリーになればいいと思っていない。ハード面よりソフト面。人と人の絆、つながりがうすれないようにしていくことが大切」と双方を見る優しい眼差しで語った。


 災害時要援護者登録制度=障害や病気などにより災害時に自ら避難することが困難な人を「災害時要援護者」という。同援護者の避難支援ガイドラインが、2007年に国から示された。これを受けて越谷市の東越谷地区をモデル地区として「災害時要援護者登録」を開始している。本人からの申請を受け、要援護者台帳を市が作成し、台帳に基づいて地区の自治会長や民生・児童委員が直接訪問し、災害時に援護してくれる人を決めていく。
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