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徳川慶喜が越谷で鷹狩り・大野さん宅の蔵に宿泊記録

2011.1.3(越谷市)
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 徳川慶喜が越谷周辺の鶴を捕りに鷹狩りに来ていた。越谷市宮本町の楽器店経営、大野光政さん(70)が昨年暮れに、自宅の蔵で徳川慶喜の宿泊記録を見つけた。大野さんが見つけたのは、自宅に宿泊した人たちを記録した「芳名録」と呼ばれるもので、それによると慶喜は明治33年6月5日と8日の2日間、大野家に宿泊している。大野さんは「記録を見つけたときはびっくりした。なぜ私の家に泊まったのかは分かりませんが、慶喜の側近からのお礼状も見つかり、信ぴょう性はあるのではないか。また、越谷周辺には明治時代には鶴が飛んでいたということも分かり、二重の驚きです」と喜んでいる。

 大野さん宅で見つかったのは、宿泊記録の芳名録と「お礼状」、そして慶喜と署名入りの短冊。越谷周辺は当時、江戸川筋御猟場といわれ、庶民は禁猟区であった。大野さんによると、曽祖父の大野伊右衛門さんが芳名録を記録したという。
 その記録によると、徳川慶喜とその家臣2人が明治33年6月5、8日に宿泊している。「鷹狩り」は5日から9日までの5日間、越谷周辺で行われたとされ、宮内省関係者6人も加わり、鶴を捕りにきたという。
 徳川慶喜は、宿泊の謝礼として、大野家に茶料として15円を。使用人に対しても合計5円を与えている。宿泊礼状は東京巣鴨の徳川別邸から明治34年4月15日に、送られている。大野さんによると、当時は「材木屋」を営み、近くの元荒川に舟を浮かべて材木を運んでいたという。
 「旅館でもない、うちになぜ宿泊したのかは分からない」と大野さん。芳名録によると、明治から大正にかけて、皇族が宿泊している記録もあり、「越谷周辺を視察にきたのかな」と大野さんは話している。
 大野さんは「これまで、徳川慶喜が越谷に来たという言い伝えはあったが、記録がなかった。これが見つかったことで、越谷に新しい歴史事実が分かったと思う」と話していた。
 日光街道の宿場だった越谷市。慶喜が越谷まで鷹狩りに来ていた事実がはっきりしたことは新しい発見。当時の越谷は鶴(タンチョウ)の舞う自然豊かなまちだったに違いない。慶喜が書いたとされる短冊は未鑑定だが、新たな歴史ロマンになりそうだ。
  (安部 匡一)
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