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近藤勇も越谷に来ていた?・富田屋伊左衛門方に一泊

2011.1.3(越谷市)
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 新選組局長、近藤勇も越谷と縁が深い。1868年(慶応4)4月4日、近藤勇は越谷から板橋へ連行される際、綾瀬川にかかる土橋・一の橋のたもとにある「よしずや」という茶店で休憩。その時、樹齢推定約350年といわれる藤の花と綾瀬川を見ながら一首。「綾なる流れに藤の花 にほう 吾が生涯に悔ひはなし」と最後の句を詠む。自分の人生を綾なす糸にたとえながら、藤の花が香るような、すがすがしい生涯に悔いはない、としている。
 新選組はこれより、3日前、下流の綾瀬から北上し、流山に向かっていた。現在の八潮市の潮止の渡しで、現在の三郷市戸ヶ崎へ。戸ヶ崎から中川左岸を谷口へ。谷口から大場川へ出て、大場川右岸を丹後まで行き、丹後の渡しで、現・流山市へ。
 流山到着後、新選組は陣容を整え、4月3日に演習中、留守だった本陣・長岡屋に急襲。近藤勇は拘束され、矢河原の渡しから現・吉川市を経由して、越谷市へ。越谷本町の名主・富田屋伊左衛門方で一泊。ここで、元新選組、伊藤甲子太郎一派の生き残り、加納道之助に、近藤勇であることを見破られる。
 4月4日、越谷から近藤勇は籠に乗せられ、浦和から田島を通り、笹目の渡しを経て板橋へ入ったと伝えられている。途中、越谷と草加の境近くにある「弁天藤」を見て、詠んだ。
 近藤勇と越谷の縁はあまり知られていない。自由の身から捕らわれの身になったのは実は越谷だった。越谷の地から見た綾瀬川の流れと弁天藤を眺めた近藤勇の心境はどのようなものだったのだろうか。越谷の新たなまちおこしの材料になるのかもしれない。

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